ポール・コゾフ
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| ポール・コゾフ Paul Kossoff | |
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| 基本情報 | |
| 出生名 | Paul Francis Kossoff |
| 生誕 | 1950年9月14日 |
| 出身地 |
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| 死没 | 1976年3月19日(25歳没) |
| ジャンル | ブルースロック、ブルース、ハードロック |
| 職業 | ミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ギター |
| 活動期間 | 1969年 - 1976年 |
| 共同作業者 |
フリー バック・ストリート・クローラー |
ポール・コゾフ(Paul Kossoff、1950年9月14日 - 1976年3月19日)は、イギリス・ロンドン出身のロック・ギタリストである。
イギリスのブルースロック、ハードロック・バンドのフリーのギタリストとして知られ、1969年にフリーのメンバーとしてデビューした。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第51位、2011年の改訂版では削除された。
父親はイギリスで俳優として活動したデヴィッド・コゾフ。裕福な家庭で育った[1]。
父のつてでエンターテイメントの世界に触れるうちにギターを興味を持ち、レッスンを受けたり、楽器店に就職するなどして腕を磨いた。16歳の時にブルース・バンドのブラック・キャット・ボーンズに加入。ここでの演奏をピーター・グリーンに認められ、ブリティッシュ・ブルースシーンでの存在感を高めた[1]。
ポール・ロジャースと知り合ったことをきっかけに、ブラック・キャット・ボーンズを脱退してフリーを結成。「オール・ライト・ナウ」(1970年)などのヒット曲を発表するが、1972年に脱退[2]。
1973年からはバック・ストリート・クローラーとして活動。ソロでもコゾフ名義でアルバムを出している。ドラッグ癖が原因で幾度も生死の境を彷徨うが、1976年3月19日、バック・ストリート・クローラーの米国ツアー中、移動で利用した飛行機の機内で肺塞栓症により夭逝した。
奏法は、ブルースロックを基調としたギターが特徴である。フリーの楽曲「タイム・アウェイ」では約5分間、泣きのギター演奏を確認できる。
使用楽器
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
- 『バック・ストリート・クロウラー』 - Back Street Crawler (1973年)
- 『彷徨える魂』 - Koss (1977年) ※コンピレーション
- 『LIVE AT CROYDON FAIRFIELD HALLS』 - Live at Croydon Fairfield Halls 15/6/75 (1983年) ※ライブ
- 『ブルー・ソウル』 - Blue Soul (1986年) ※コンピレーション
バック・ストリート・クローラー
- 『バンド・プレイズ・オン』 - The Band Plays On (1975年)
- 『2番街の悲劇』 - 2nd Street (1976年)
フリー
- 『トンズ・オブ・ソブス』 - Tons Of Sobs (1968年)
- 『フリー』 - Free (1969年)
- 『ファイアー・アンド・ウォーター』 - Fire And Water (1970年)
- 『ハイウェイ』 - Highway (1970年)
- 『フリー・ライヴ』 - Free Live! (1971年)
- 『フリー・アット・ラスト』 - Free At Last (1972年)
- 『ハートブレイカー』 - Heartbreaker (1973年)
ポール・コゾフ、サイモン・カーク、テツ・ヤマウチ、ジョン・ラビット・バンドリック
- 『コゾフ/カーク/テツ/ラビット』 - Kossoff Kirke Tetsu Rabbit (1972年)