ポール・レノー
フランスの首相
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生涯
バルスロネット出身。HEC経営大学院でディプロム取得し、また法律を学んだ。第一次世界大戦に従軍後、地元選出の代議士、1919年にパリ選出の代議士として国政に参加し、議会では中道右派と手を組んだ。様々な首相のもとで閣僚を務め、世界恐慌後の1930年代には、平価切り下げによる不況克服を提唱し、シャルル・ド・ゴール大佐の機甲師団創設案を支援する。
その後、エドゥアール・ダラディエ首相の下で財務大臣、外務大臣、陸軍大臣を務めた。第二次世界大戦中の1940年3月、辞職したダラディエに代わり首相を務める。同年5月のナチス・ドイツのフランス侵攻に際しては、敗勢が濃くなってからも抗戦継続を唱えたが、休戦派に屈し6月に辞職する。
1943年までヴィシー政権及びドイツにより拘禁され、のちにオーストリアのイッター城収容所に移されたが、1945年のイッター城の戦いを経て自由フランス軍に救出された。
第二次世界大戦後の1946年に憲法議会議員に選出され後に独立農民国民中道派から代議士に、アンドレ・マリー内閣で財務経済大臣、第2次アンリ・クイユ内閣で対外関係大臣として入閣しジョセフ・ラニエル内閣で副首相を務めた。ド・ゴール政権下では一貫して野党の立場を貫き、1965年大統領選では決選投票でミッテラン支持に回った。1966年に死去。
