マイケル・D・ヒギンズ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| マイケル・ダニエル・ヒギンズ Michael Daniel Higgins Mícheál Daniél Ó hUiginn | |
| 任期 | 2011年11月11日 – 2025年11月11日 |
|---|---|
| 首相 | エンダ・ケニー レオ・バラッカー ミホル・マーティン サイモン・ハリス |
| 出生 | 1941年4月18日(84歳) |
| 出身校 | アイルランド国立大学ゴールウェイ校 |
| 配偶者 | サビナ・コイン |
マイケル・D・ヒギンズ(英語: Michael D. Higgins、アイルランド語: Mícheál D. Ó hUiginn、1941年4月18日 - )は、アイルランドの政治家、詩人、社会学者、文筆家、放送人。同国第9代大統領を2011年から2025年まで、2期14年務めた。
大統領選挙に立候補するために労働党を離脱するまで、同党の総裁(党首とは異なる)を務めていた。2011年2月までゴルウェイ西選挙区選出の下院(ドイル・エアラン)議員であった。1993年から1997年まで芸術・文化・ゲール語大臣を務めた。
ヒギンズはアイルランド国立大学ゴールウェイ校 (UCG) の成人学生だったときにフィアナ・フォイル党の党員となったが、すぐに労働党に鞍替えした。1969年と1973年の総選挙で労働党公認候補として立候補したが落選した。このときヒギンズのために選挙運動を行った一人に、当時UCGの学生で後に労働党の党首となったエイモン・ギルモアがいる。ヒギンズは1973年にリアム・コスグレイブ首相によって、上院(シャナズ・エアラン)議員に任命された。ヒギンズは1981年の総選挙で初めて下院(ドイル・エアラン)に当選し、1982年2月の総選挙でも再選された。同年11月の選挙で議席を失ったが、アイルランド国立大学選出議員として上院に復帰した。また、1982年から1983年と1991年から1992年の2期にわたってゴールウェイ市長を務めている。労働党においては、1980年代に連立政権のパートナーとなることに反対した議員の一人であった。
ヒギンズは1987年の総選挙で下院に当選すると、2011年まで議席を維持した。1993年には芸術・文化・ゲール語大臣として入閣を果たした。在任中に、ヒギンズは物議を醸していた放送法第31条(シン・フェイン党員とIRAメンバーに放送へのアクセスを制限する条項)を廃止し、休眠していたアイルランド映画庁を復活させ、アイルランド語専門テレビ局(現在のTG4)を開局した。2003年に労働党総裁の座をプロンシアス・デ・ロッサから引き継ぎ、また外交に関する労働党のスポークスマンを務めた。
2004年の大統領選でヒギンズは立候補の意向を示唆したが、労働党が候補者を立てないことを決定したため断念した。
2010年10月に、2011年2月の総選挙には立候補しないことを表明した。この頃までヒギンズはダブリン市内の質素な2DKのマンションで暮らしていた。
2011年10月27日の大統領選挙で当選、11月11日に就任。77歳で臨んだ2018年10月26日の大統領選挙では得票率55.8%で再選された[1]。
