マクシミリアン・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ
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ミュンヘンのヴィルヘルム中等教育学校で1823年アビトゥーア資格を取得[1]。ストラスブール大学、ランツフート大学に遊学するが、1826年にはミュンヘン大学に戻った。同年、学生組合コーアス・イザリアに加入した[2]。
1828年よりバイエルン参議院議員を終身で務めた。また1868年から1870年まで、関税議会のシュヴァーベン3区(ディリンゲン郡・ギュンツブルク郡・ツーシュマルツハウゼン地区)選出の議員を務めた。カトリック保守派のバイエルン愛国党の代表的存在だった。
オーバーエスターライヒ州のザンクト・マルティン及びアウロルツミュンスター、バイエルンのファーライ、アードルドルフ、マルガースドルフ、オーバーケルンバッハ(ランツフート郊外)及びバウムガルテン(ディータースブルク郊外)の領主であった。また、南ドイツ土地信用銀行の共同設立者にも名を連ねた。
1875年、ヴェネツィアで死去。
