マグヌス5世 (ノルウェー王)
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| マグヌス5世 Magnus V Erlingsson | |
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| ノルウェー国王 | |
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『ヘイムスクリングラ』の中の「マグヌス・エーリングソンのサガ」の装飾(イェールハルド・ムンテ画、1899年) | |
| 在位 | 1161年 - 1177/84年 |
| 戴冠式 | 1163/4年 ベルゲン |
| 出生 |
1156年 |
| 死去 |
1184年6月15日 |
| 埋葬 |
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| 配偶者 | エストリッド・ビョルンスドッテル |
| 子女 | シグル |
| 家名 | シュル家 |
| 王朝 | ホールファグレ朝 |
| 父親 | エーリング・スカッケ |
| 母親 | クリスティン・シグルスダッテル |

マグヌス5世・エーリングソン(Magnus V Erlingsson, 1156年 - 1184年6月15日)は、ノルウェー王(在位:1161年 - 1177年/84年)。シグル1世の孫、マグヌス4世の甥にあたる[1]。戴冠式を行った最初のスカンディナヴィアの君主である。また、ノルウェーの王位継承において長子相続を確立させた[2][3]。1184年のフィムレイテの戦いにおいて、ノルウェー王となったスヴェレ・シグルツソンの軍と戦って戦死した。
マグヌス4世の姉妹クリスティンと豪族エーリング・スカッケの間の子である[1]。父エーリングは、オークニー伯ラグンヴァルド・カリ・コルソンとともに行った十字軍で名声を得た。母クリスティンはシグル1世十字軍王の娘であった。マグヌスは1161年に5歳でノルウェー王とされ、ノルウェー王として初めて戴冠式を行った。父エーリングは伯爵とされ、マグヌスが若年の間に実権を握り、マグヌスが成年に達した後も王国の実質的な支配者であり続けた[4]。
1166年、シグル・アグンハットとその養子であるオーラヴ・ウゲーヴァはオップランで軍を編成し、エーリング・スカッケがデンマークに留まっている間に、オーラヴに王位を宣言させた。オーラヴは、エイステイン1世の娘であるマリア・エイステインスドッテルの息子であった。エーリングがこの反乱を鎮圧するためにノルウェーに戻った後、オーラヴとその家臣はセールムのリジョクルでエーリングを待ち伏せ攻撃した。エーリングは負傷し、かろうじて逃げ出した。1168年、オーラヴとその家臣は南のオスロ・フィヨルドに足を踏み入れたが、ヴォーレルのスタンゲルにおける戦いで敗北した。シグルは戦死したが、オーラヴはデンマークに逃亡した[5]。
1177年、ノルウェー王シグル2世の庶子と称するスヴェレ・シグルツソンが民衆の支持を得て、軍を率いてノルウェーに上陸し、王位を主張した[3]。エーリングの地位は危うくなり、1179年のニーダロス郊外のカルフスシネの戦いにおいて戦死した[3]。マグヌスはデンマークへ逃亡した。
その後再起を図って再度ノルウェーに上陸し、数年間戦争が続いたが、1184年6月15日のフィムレイテの戦いでマグヌスは敗北し戦死した[3]。スヴェレは大艦隊を送りマグヌスの艦隊を攻撃し、一度に1隻の船に突撃して打ちのめし、マグヌスの兵を次の船に飛び越えさせた。戦闘が進むにつれ、残りの船はすし詰め状態となり、その重さのために沈没した。