マゲシカ
シカ科の動物の亜種
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マゲシカ(馬毛鹿、学名:Cervus nippon mageshimae)は、ニホンジカの亜種であり、日本の鹿児島県の馬毛島と種子島に生息する他、近代以降に阿久根大島、臥蛇島などへ人為的に移入されている[1]。
| マゲシカ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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マゲシカ Cervus nippon mageshimae | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Cervus nippon mageshimae Kuroda & Okada,1950 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 和名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| マゲシカ |
概要

特徴はおおむねニホンジカと同一だが、体格はやや小さい。種子島や馬毛島の隣の屋久島に生息するヤクシカよりも大きい体格であり、ニホンジカとヤクシカの中間の体格となっている。ヤクシカのオスはツノが2叉3尖(2度枝分かれして先端が3つ)だが、マゲシカは3叉4尖で見分けることができる。またヤクシカが山岳地帯の岩場ややぶに生息するのに対してマゲシカは開けた草原を好む[2]。
1950年に馬毛島に生息するものがニホンジカの亜種として記載され、1986年には馬毛島と種子島の個体群をマゲシカとして屋久島のヤクシカとは別亜種にすることが提案されたが、分布域と分類学的位置づけがはっきりしなかった(どの鹿がマゲシカでキュウシュウジカではないのかはっきりしなかった)ため、長らくニホンジカの地域個体群として登録されていた。その後の遺伝子解析によりマゲシカはヤクシカともキュウシュウジカとも異なるグループに属することが明らかとなった[3][4]。
2000年代以降の馬毛島の開発による生息地の減少により、馬毛島の個体群は環境省レッドリストにニホンジカ(Cervus nippon)の「絶滅のおそれのある地域個体群(LP)」として掲載されている[5]。⿅児島県レッドリストでは「情報不⾜」として評価されているがこれは当時の地権者が島への⽴ち⼊りを拒否したため、調査ができなかったことによる[4]。現在は自衛隊の基地の建設予定地の敷地内にある、100ヘクタールほどの面積の海岸部の土地に生息しているとされ、生息数については1000頭前後(防衛省が2023年に行った調査)から320頭(北海道大学などが2021年に行った調査)と調査報告によってばらつきがある[6]。
阿久根大島には万治年間(1,658~1660年)、薩摩藩主の島津光久が種子島氏から献上されたマゲシカを神鹿として放したが、1904年の日露戦争の際に食糧増産のために島の農地開墾を行った際に害獣として駆除したため絶滅した。その後、奈良の春日大社に依頼して奈良の鹿を導入するなどの措置を行ったが定着せずに全滅したため、1925年に馬毛島からマゲシカを再導入した。現在は約120頭が生息する[7]。 臥蛇島には1972年に観光目的で放たれたとされる[2]。