馬毛島
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おもな地名

2009年11月26日撮影の8枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。
種子島の西方12キロメートルの東シナ海にある島で、面積は8.20平方キロメートル[1]、周囲16.5キロメートル[2]。最高地点は島中央部の岳之腰で71.7メートル、地勢は低くて平らである[3]。河川がなく地質は農業に適さない。一般的な船便で種子島から出港して約30分の距離に位置する。北側は国際海峡で特定海域の大隅海峡と接し、近年は他国海軍の通過通航も増加し、自衛隊基地設置後、偵察、妨害などの影響を受ける可能性も指摘されている[独自研究?][4][5]。
ニホンジカの1亜種であるマゲシカが棲息している。周辺は好漁場である。
葉山(はやま)、王籠(おうこもり)、高坊(たかぼう)、垣瀬(かきせ)、椎ノ木(しいのき)
小島・岩礁
国土地理院地図(抄)。陸繋した浜辺や海礁上の小岩、無名の岩を除く。
- 房瀬 - 上ノ岬。
- 小瀬、片平瀬、大平瀬、垣瀬 - 西側。
- 北小島、女瀬 - 下ノ岬。
- 高瀬、ツマ崎 - 南東側。
- 横瀬 - 東側。
歴史
戦前まで
旧石器時代の石器を数点、2022年10月に西之表市教育委員会が文化財調査で確認した[6]。
古くは10世紀にマゲシカを狩猟した記録が残る。鎌倉時代から種子島氏が領地としていたが、漁師がトビウオ漁の時期に1 - 2か月ほど小屋に泊り込んで漁業基地とするほかに定住者はほとんどなかった。
江戸時代の文化年間初頭に、種子島で蝗が発生した上に台風が二回襲来した。農作物が壊滅状態となり飢饉に陥った種子島の島民が馬毛島に来島し、救荒食としてソテツを採取した。1808年に種子島氏の家老は、資源の減少を防ぐためにソテツを植え付け、島内でたき火を禁止した[7]。
明治以降は牧場として利用を試みた。太平洋戦争後期の1944年(昭和19年)に、帝国海軍の防空監視哨が設置されて一時は無人島(無定住者島)となった。
戦後
入植から無人島化まで
戦後の1951年(昭和26年)から緊急開拓事業で農業開拓団が入植を開始した。ピーク時の1959年(昭和34年)は113世帯528人が島内で居住し、サトウキビ栽培、酪農、トビウオ漁を営んだ。

水源が乏しく農業に適さない土地に加えて害虫や鹿の農作物被害が増加し、生活の困窮や子弟の教育などから島民は徐々に島を離れた。1980年(昭和55年)3月に最後の島民が島外へ移住し、西之表市立馬毛島小・中学校も最後の卒業生を送り出して閉校[注釈 1]し、以降無人島となった。これにより、北海道の渡島大島に次いで日本で面積が2番目に大きい無人島となった。
無人島の買収
1974年(昭和49年)に平和相互銀行(平和相銀)は馬毛島開発株式会社を設立し、1975年(昭和50年)に全島を買収した。当初はレジャー施設の建設を計画したが挫折した。のちに石油備蓄基地の候補とされて土地買収が進捗するが、備蓄基地は鹿児島県志布志湾に決定して馬毛島は放置された。使用済み核燃料貯蔵施設の誘致案も見られた[8]。
1983年(昭和58年)に右翼活動家の豊田一夫が、馬毛島の土地を自衛隊の超水平線レーダー用地として防衛庁へ売却すると平和相互銀行に持ちかけ、不正経理で用意させた巨額の資金を政界で賄賂に用いた。1986年(昭和61年)に馬毛島事件として発覚し、経営が悪化していた平和相銀は住友銀行に救済合併された。
同年は、1985年(昭和60年)に発生した山火事の影響で、集団化したトノサマバッタが大発生(蝗害)したが翌年に収束した[9]。
1995年(平成7年)に立石建設が馬毛島開発を買収して子会社とし、のちにタストン・エアポート株式会社へ社名を変更した。馬毛島開発は島の土地を買い推めて西之表市の公有地である市道と旧学校地を除く大半を所有地とした。馬毛島開発は、日本版スペースシャトル(HOPE)の着陸場、使用済み核燃料中間貯蔵施設などの誘致を構想したが、実際は石採業などをわずかに行った。
2005年(平成17年)の国勢調査で同社の従業員15人が住民として登録され、25年ぶりに再び有人島となる。離島振興法の有人指定離島、および有人国境離島法の特定有人国境離島地域も指定される。
滑走路建設問題
2007年(平成19年)に、硫黄島の代替としてアメリカ海軍空母艦載機の陸上空母離着陸訓(FCLP)に利用する可能性が報道されたが、種子島と屋久島の1市3町は反対決議を可決した[10][11]。
2009年(平成21年)12月に、沖縄県宜野湾市普天間飛行場の移設候補地として検討された[12]。馬毛島開発は島で土木工事を進め、4,000メートル級の滑走路を建設するとした[13]。
2010年に普天間基地の移設先に鹿児島県徳之島が候補地とされるが、地元住民の反対運動が激化して困難となった[8]。2010年(平成22年)に防衛省は。「新たな自衛隊施設の整備」として馬毛島の自衛隊使用を計画した。島を南西シフト態勢の上陸演習場、事前集積拠点、災害派遣時の物資集積場として使用する計画を、防衛省ウェブサイト『国を守る』に掲載した。種子島など地元説明会で同様の内容を提示した[14]。
2011年(平成23年)5月に、北澤俊美防衛相が米空母搭載機の陸上での離着陸訓練施設の候補として検討を指示していると報道された。その後日米安全保障協議委員会で、FCLPの移転先として馬毛島を検討対象とすることを共同文書に明記した。
馬毛島開発は島を十字に横切る「滑走路」を建設していると報道された。馬毛島開発は測量名目で樹木を伐採して表面を整地し、鹿児島県へ森林伐採を届出て林地開発の許可を得ていたが、実際は届出よりも大規模な伐採、整地、盛り土とされる[15][注釈 2]。
2011年(平成23年)9月に、タストン・エアポート社による乱開発で土砂が流出して漁場が破壊されたとして、種子島の漁師らが工事の差し止めや漁獲量の減少に対する慰謝料を求めて提訴した[17][注釈 3]。ほかに地元住民らが鹿児島県と国を相手に開発の違法性を放置した責任を問う行政訴訟[18]、馬毛島の港周辺の入会地の一部を入会権を有する漁民の一部が旧馬毛島開発に切り売りしたことの無効性を問う入会権裁判も提訴された[19]。
西之表市は、タストン・エアポート社による馬毛島の森林開発等の現状を確認するための立ち入り調査を再三申し入れるが、ダストンは一貫して拒否し[20]、2011年9月15日に鹿児島県がダストンの大規模造成に対して違法伐採の疑いや課税上の問題があるとして現地調査の受け入れを要請した[21]。
2018年(平成30年)7月15日に、防衛省が馬毛島を海上と航空の両自衛隊が拠点として活用する方針を固めたことが報じられた[22]。鹿屋航空基地のP-3Cや新田原基地のF-15Jを馬毛島で展開し、離着陸や防空などの訓練を想定するほか、航空自衛隊が導入して新田原基地に配備が検討されるF-35Bと、F-35Bの発着艦が可能な事実上の空母に改修されるいずも型護衛艦の訓練拠点として使用も視野とする。ほかに、航空自衛隊は南西方面で唯一の拠点である那覇基地が攻撃されることを想定して、馬毛島にF-15Jを分散配置も検討している[22]。
2018年(平成30年)2月16日までに「反対色が強い活動が原因で」米軍基地等馬毛島移設問題対策協議会は解散している[23]。
用地買収問題
立石建設と子会社の馬毛島開発で社長を務めた実質的所有者の立石勲と法人の立石建設工業株式会社が法人税3億2000万円を脱税して在宅起訴され、2011年(平成23年)6月に有罪と判決された[24]。これら事情を汲み防衛省は島の敷地の買い取りを前提とするが[25]、立石勲はリースを主張した。2011年6月に土地の99.6%を所有するタストン・エアポートと防衛省は、用地交渉開始の合意書を締結した[26]。
2016年(平成28年)11月4日に、防衛省による用地買収について土地所有者のタストン・エアポート社と契約に目途が立ったと報道された[27][28]。2018年6月27日にタストン・エアポート社の債権者が東京地方裁判所へ破産手続開始の申立てを行ったことが複数の報道機関で報じられた[29][30]。東京地裁は6月15日付で保全管理命令を出し、会社側の意見も聞いた上で破産手続き開始の可否を判断するとした。防衛省は破産手続きが進めば競売が行われる可能性が高いとみて購入額の精査を始め、競売になれば「防衛省が想定する価格で買収できる」(政府高官)とされた[30]。2018年(平成30年)10月22日に、タストン・エアポート社の破産手続開始を申立てた債権者が申し立てを取り下げ、同社の破産が回避される見通しになった[31]。
2019年(平成31年)1月9日に、政府が160億円で馬毛島を自衛隊訓練場として買収し、2019年(平成31年)3月末までに取得することで地権者と大筋合意した[32][33]。その後は地権者の間で開発会社の代表権などをめぐる法的な争いが生じて契約できず、3月末には買収が不透明になっていると報じられた[34]。2019年(令和元年)5月7日にタストン・エアポート社は、馬毛島の売却交渉の打ち切りを通告したが[35]、2019年11月29日に防衛省と地権者が約160億円の売買契約の合意に至ったと報道され、12月3日に河野太郎防衛相が記者会見で大筋合意に至ったと述べた[36][37]。
朝日新聞の報道によれば、2019年に中国国有企業がタストン・エアポート社に資金提供を持ちかけていた。タストン・エアポート社の希望額は400億円で政府側提示額は45億円であった。立石は「200億円の大台を超えてください」と懇願したが、島の一部の土地をタストン・エアポート社が保有し続けることで政府側が折れた。生コン工場を建設して自衛隊と取引すること目論んだが、実現せずに立石は他界した[38][39][40]。
用地買収契約合意に当たり西之表市の八板俊輔市長は2019年(令和元年)11月30日に、FCLPの移転に対し「地元の理解は得られていない」と述べて慎重な考えを示した[41]。菅義偉官房長官は地元の理解を求めていく考えを表明した[42]。
2022年1月24日に立石建設グループのタストン・リサイクル社は、債権者から破産を申し立てられて東京地裁から破産手続開始決定を受けた[43][44]。
馬毛島基地工事開始
2022年1月26日に防衛省は、馬毛島基地整備の影響を調べる環境影響評価(アセスメント)の途中段階で、航空機の管制塔や燃料貯蔵施設建設など計13件の入札を公告して基地本体工事の発注をした[45]。
2022年4月2日に岸信夫防衛相は現職防衛相として初めて馬毛島を視察し、馬毛島の施設を航空自衛隊が管理する「航空自衛隊馬毛島基地(仮称)」として整備することを明らかにした[46]。同日に西之表市内で賛成派の市民らが「防衛省を応援します」と記した横断幕でアピールし、反対派の市民団体のメンバーらは「静かな島は財産です 基地建設反対」などのプラカードを手にシュプレヒコールの声をあげるなど、賛成派と反対派の市民らそれぞれ40人ほどが空港や沿道で声をあげた[47]。2024年2月時点で工事関係者は約2千人余となる。温暖化で漁獲が激減し、種子島漁協の組合員や馬毛島の元漁師が安定収入源として持ち船の漁船で作業員の運搬を担当している。その収入に漁民が頼らざるを得なくなったこと、2022年に種子島漁協が日本政府から提示された22億円の補償金で漁業権の一部放棄に応じたこと、米軍の発着訓練を受け入れることで再編交付金が支給されるがこの支給先が偏在していること、などで賛成派と反対派の分断が強まった。2021年1月に八板市長が基地建設反対を掲げて西之表市市長に再選されたが、当選後は賛否について明言しなくなった。2024年2月に3選へ立候補を表明したが賛否は明言せず、事実上の容認と受け止められる[48]。
2023年1月12日に防衛省は、アセスメントの評価書を公告して基地の本体工事を開始した[49][50]。
2024年9月10日に防衛省は、完成時期が当初計画より約3年遅れの2030年3月末になると発表した。高い波や強風で資機材の海上輸送が計画通りに進まず、能登半島地震に伴う資機材や人員の不足も影響した。基地本体は2023年1月に着工して4年程度で完成する計画だった[51][52]。
