マチュー2世・ド・モンモランシー
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| マチュー2世・ド・モンモランシー Mathieu II de Montmorency | |
|---|---|
| モンモランシー領主 | |
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後世に描かれたマチュー2世・ド・モンモランシーの肖像画(1788年) | |
| 在位 | 1189年 - 1230年 |
| 出生 |
1168年ごろ |
| 死去 |
1230年11月24日 |
| 配偶者 | ジェルトリュード・ド・ソワソン |
| エマ・ド・ラヴァル | |
| 子女 | 本文参照 |
| 家名 | モンモランシー家 |
| 父親 | ブシャール5世・ド・モンモランシー |
| 母親 | ローレット・ド・エノー |
マチュー2世・ド・モンモランシー(Mathieu II de Montmorency, 1168年ごろ - 1230年11月24日)は、モンモランシー領主(在位:1189年 - 1230年)。
マチュー2世はブシャール5世・ド・モンモランシーとエノー伯ボードゥアン4世の娘ローレット・ド・エノーの息子である[1]。父方の祖父母はフランス軍総司令官マチュー1世・ド・モンモランシーとイングランド王ヘンリー1世の庶子アリス・フィッツロイであった。父ブシャール5世は1189年か1190年にアッコ包囲戦で戦死した[2]。
マチュー2世は第3回十字軍のアッコ包囲戦で戦死したアルベリク・クレマンに代わってフランス元帥となった[3]。聖地から無事帰還した後、フランス王フィリップ2世のノルマンディー征服に参加し、1204年のガイヤール城包囲戦で名を挙げた[4]。また、1214年のブーヴィーヌの戦いで重要な役割を果たし[4]、敵の旗を12本捕獲した(この偉業を記念して、モンモランシーの盾にはさらに12羽の鷲、つまり以前は4羽だった鷲が合計16羽描かれることとなった[5])。
1215年、マチュー2世はフランス軍総司令官としてアルビジョア十字軍に参加した[4]。フランス王ルイ8世に仕え、1224年にラ・ロシェルなどの都市をイングランドから奪った[6]。ルイ8世が1226年に亡くなると、マチュー2世は幼い王子と王太后で摂政のブランシュ・ド・カスティーユに仕えた。
マチュー2世は1230年、アンジュー遠征から帰還の途中に死去した。