マッキンゼー報告書
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マクレホース総督は在任中に多くの重大な決定を下したが、政策を効果的に推進するためには、政庁の施政効率を向上させる必要があると考えた[1]。このため、マクレホースは就任後すぐの1972年には国際的なコンサルタント会社であるマッキンゼーを招聘し、香港政庁内部の統治体制について研究を行わせた。マッキンゼー社は1973年に研究の結果を『マッキンゼー報告書』として発表し、マクレホースはこの提案に基づいて政庁の中核的な機構を再編した[2]。新体制では、総督の下に置かれる輔政司、財政司、律政司の三司は従来通り維持されたが、三司の下にある輔政司署(英語: Colonial Secretariat、現在の政府総部(中国語版))は再編され、内部に経済科(中国語版)、環境科(中国語版)、民政科(中国語版)、房屋科(中国語版)、保安科(中国語版)および社会事務科(中国語版)の六つの決策科(英語: Policy Branches)と、さらに財政科(中国語版)および銓敘科(中国語版)の二つの資源科が設置された[3][4][5][2]。この新たな機構は当時、外部から「ミニ内閣」と形容され[6]、輿論は新制度によって香港政庁の統治機構が民間企業のように効率的なものになったと評価した。すなわち、各政策科の長は会社の管理職に相当し、総督は最高経営責任者(CEO)、三司はCEOの補佐に相当し、また行政局および立法局(中国語版)の議員はその他の主要株主に相当するものとみなされた[7]。しかしながら、政庁内部には、マクレホースが外部のコンサルタント会社を招聘したことが、イギリス政府が専門家に委任して委員会を組織させる植民地の従来のやり方に反するものであるとして疑問視する声も存在した[8][2]。また、新たな方案においては、政策決定の一部の権限が行政・立法の両局から各政策科の官僚へと移されたため、従来は政策の執行のみを担当していた官僚にとっては、適応に時間を要することとなった[2]。
1973年の改組に続き、マクレホースは引き続き報告書の提案に基づいて政府機構の再編を進めたが、その他の主要な改組としては、1976年に輔政司を布政司と改称するとともに、輔政司署を布政司署と改称したこと[8]、1980年に布政司署に教育科(中国語版)を新設し、教育司をその長とし、従来の教育司署を教育署(中国語版)に改称して教育科管轄下の執行部門とし、その長を教育司から教育署署長へと改めたこと、さらに1982年に環境科を廃止するとともに工務司署(中国語版)を分割し、地政工務科および運輸科を新設したことなどが挙げられる[9]。新界の発展および地方行政の拡充に対応するため、マクレホースは新界統治についても大幅な再編を行った。1974年には新界拓展署(中国語版)を設置し、新界の開発および計画を担当させ、同年には理民府を統括する新界民政署(中国語版)の上に新界政務科を新設するとともに、従来の新界民政署長(英語: District Commissioner, New Territories)の職を新界政務司(中国語版)(英語: Secretary for the New Territories)へと格上げし、新界行政全般の統括および新界に関する政策策定を担わせた[10]。
参考文献
- ↑ 鄧惠鈞監製,《麥理浩十年》,香港:電視廣播有限公司,1982年。
- 1 2 3 4 Tsang, Steve, Governing Hong Kong: Administrative Officers from the Nineteenth Century to the Handover to China, 1862-1997, Hong Kong : Hong Kong University Press, 2007.
- ↑ “政制改革報告書 昨在立法局發表 分經濟環境民政房屋社會福利”. 大公報. (1973年5月24日). p. 4. https://sls.hkpl.gov.hk/digital-collection/tc/contentcoverpage.html?currentPosition=1&searchId=108d244bb79648039928fac4adf1ca5f&catalogueId=261dd7f39cb711ef9c2&mainKeyword=%E5%A0%B1%E5%91%8A&isHKMP=
- ↑ “港府龐大改革 專家研究結果提出三項辦法提高政府能力 初期設立經濟、環境、民政、房屋、保安、社會福利六個政策科,負起一般職責,由具有大權高級官員担任各科主管人。一部分專家提議正在各機關試用中。”. 華僑日報. (1973年5月24日). p. 5. https://sls.hkpl.gov.hk/digital-collection/tc/contentcoverpage.html?currentPosition=2&searchId=72de0c72289042b1a07a7ac29c1a72f3&catalogueId=18f777289cb711ef9c2&mainKeyword=%E6%94%B9%E9%9D%A9&isHKMP=
- ↑ “採納麥健時報告書建議 港府內部組織改革 新中央政府三機構 主管官員昨已委出 姬達任民政司,盧秉信任環境事務司,黎保德任房屋司。”. 香港工商日報. (1973年5月24日). p. 1. https://sls.hkpl.gov.hk/digital-collection/tc/contentcoverpage.html?currentPosition=4&searchId=3e671974fb8b46c1a44d2027dd99d694&catalogueId=19ee6d519cb711ef9c2&mainKeyword=1973-05-24&isHKMP=
- ↑ Chan, Ha-kwan, Nikkiter, Explaining the Policy Dynamics of Administrative Reorganizatin in Hong Kong: An Institutional Analysis of Policy Stasis and Punctuation, Hong Kong: The HKU Scholars Hub, June 2008.
- ↑ Welsh, Frank, A History of Hong Kong, London: HarperCollins Publishers, 1993.
- 1 2 Sinclair, Kevin, "A Man Who Left His Mark", South China Morning Post, 2 June 2000.
- ↑ 劉曼容. 港英政府政治制度論(1841-1985), 中國:社會科學文獻出版社, 2001.
- ↑ “輔政司署增設 新界政務司 由鍾逸傑兼任”. 香港工商日報. (1974年4月1日). p. 7. https://sls.hkpl.gov.hk/digital-collection/tc/contentcoverpage.html?currentPosition=4&searchId=334a8964944b4677a5e6d88ae5689ab1&catalogueId=19f6d8dc9cb711ef9c2&mainKeyword=%E6%94%BF%E5%8B%99%E5%8F%B8&isHKMP=