マックス・ブラック
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人物
1909年、当時ロシア帝国領であったアゼルバイジャン・バクーのユダヤ人家庭に生まれた[1]。一家はロシアにおける反ユダヤ主義から逃れて、まずパリに移り、1912年にロンドンに移住した[1]。ケンブリッジ大学クイーンズ・カレッジで学び、1930年に文学学士号を取得[2]。1年間ドイツのゲッティンゲン大学で学んだ後、スーザン・ステビングの指導の下[3]、1939年にロンドン大学大学院で哲学博士号を取得、1955年には文学博士号も取得した[2]。1936年から1940年までロンドン教育大学講師。1940年にアメリカ合衆国に移住し、1948年に帰化した[2]。
渡米後の教職歴としては、イリノイ大学とコーネル大学で教授を務めた[2]。コーネル大学の同僚にマルコムやヴラストスがいた[4]。1977年に退職した後も、複数の大学で講義した[1]。
学界ではアメリカ芸術科学アカデミー、アメリカ哲学協会、アリストテレス協会などの会員であり、1950年にはグッゲンハイム・フェローに選出された[2]。
業績
リチャーズに始まりビアズリーやデイヴィドソン、サールらに続く、現代の隠喩(メタファー)論の主要人物として知られる[5]。ブラックは隠喩論において「相互作用説」(interaction theory) の立場をとった[5]。リクールも『生きた隠喩』で度々参照している[6][7]。
隠喩のほかにも、数学の哲学[1]、曖昧さ[1]、帰納[1]、不可識別者同一の原理[8]、サピア=ウォーフの仮説など多様なトピックを扱った。
「クリティカル・シンキング」という言葉を最初に用いた人物とも言われる[9]。
1952年、最初の英語版フレーゲ著作集をギーチとの共訳で刊行した。その中で『意義と意味について』などを英訳している[10]。1964年にはウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の解説書を刊行した[1]。