マッシモ・スタンツィオーネ

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マッシモ・スタンツィオーネ
Massimo Stanzione
マッシモ・スタンツィオーネ作「ピエタ」(1638)
生誕 1585年
フラッタマッジョーレオルタ・ディ・アテッラ
死没 1656年
ナポリ
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マッシモ・スタンツィオーネ(Massimo Stanzione、Stanzioniとも、1585年1656年)はイタリアの画家、主にナポリで活動した。宗教画を描き多くのナポリの画家に影響を与えた。ローマ教皇、ウルバヌス8世から騎士の称号を授けられた後は「EQUES MAXIMUS(大騎士)」と作品に署名した。「ナポリのグイド・レーニ」と賞される17世紀のナポリ派を代表する画家である。ボローニャ派のグイド・レーニやドメニキーノのスタイルとナポリで発展した、カラヴァッジオの影響を受けたスタイルを融合させた。

現在のナポリ県フラッタマッジョーレ[1]カゼルタ県オルタ・ディ・アテッラ[2]の生まれとされる。ナポリの画家、ファブリツィオ・サンタフェーデ(Fabrizio Santafede: c.1560–1623/28)かバッティステッロ・カラッチョロ(Battistello Caracciolo: 1578-1635)の弟子であったと考えられている[3]。1617年から1630年までは、しばしばローマで仕事をするようになった。ローマではカラヴァッジオグイド・レーニ(1575-1642)、アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)、シモン・ヴーエ(1590-1649)や女性画家のアルテミジア・ジェンティレスキ(1593-1652)の作品に影響を受けた[3]

ローマの教会の壁画を描き、高く評価され、1621年にローマ教皇グレゴリウス15世から勲章を受け、1627年にウルバヌス8世から騎士の称号を授けられた[4]

アルテミジア・ジェンティレスキが1630年にナポリに活動拠点を移すと、スタンツィオーネもナポリで活動し、協力関係を持つようになったと伝えられている。ナポリ王でもあったスペインのフェリペ4世の注文でマドリードのブエン・レティーロ宮殿(Palacio del Buen Retiro)に飾られた絵画などでジェンティレスキと協力したとされる。

ナポリ大聖堂など、多くのナポリの教会の装飾壁画や祭壇画も描いた。

スタンツィオーネは、ホセ・デ・リベーラ(1591-1652)とともに、17世紀前半のナポリの代表的な画家の一人とされる。1656年のペスト大流行の際に亡くなったとされる。スタンツィオーネの工房ではアンドレア・ヴァッカロ(Andrea Vaccaro: 1604-1670)らも働いた可能性がある。

作品

脚注

参考文献

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