マドゥラ族

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マドゥラ族(マドゥラ語:'Orèng Madhurâ)は、インドネシアに居住する主要な民族の一つで、2010年国勢調査による人口は7,179,356人である。主にマドゥラ島とその周辺島(プテラン島、ギリ・イヤン島、サプディ島、ギリ・ラジャ島、ギリゲンティン島、ラアス島など)を故地とする。マドゥラ族は移住性が強く、インドネシア各地に広く分布しているほか、オーストラリアブルネイマレーシアシンガポールなど国外にも居住者が存在する。[2]

マドゥラ族の人口に関する公式・学術的データには差がある。2010年のインドネシア国勢調査では、マドゥラ族は全国人口の3.03%、計7,179,356人と記録されている。一方、一部の学術資料では、10.5〜10.8百万人規模とする推計も存在する。いずれにせよ、マドゥラ族はインドネシアで4番目に大きい民族であり、ジャワ族スンダ族バタク族に次ぐ規模である。[3]

歴史的にはマドゥラ島およびその東側に位置するジャワ海の小島(バウェアン島カンゲアン諸島)に居住し、これら地域では住民の90%以上を占める。東ジャワ州のいわゆる「タパルクダ地域」にも多く居住し、ほかインドネシア各地に40万人以上が分布している。

分布

マドゥラ族はマドゥラ島とその周辺島に起源を持つ。東ジャワ州の東部地域であるタパルクダ(パスルアンからバニュワンギに至る一帯)にも広く居住しており、とくにシトゥボンドボンドウォソプロボリンゴ東部ルマジャン北部ジェンベル北部などでは日常的にジャワ語を話す住民は少ない。その他、スラバヤ北部、マランの一部、バウェアン、さらにはインドネシア全土に居住者が存在する。

国外では、マレーシア東ティモールブルネイシンガポールオーストラリアのほか、中東東アジアアフリカヨーロッパアメリカ大陸にも定住者がいる。

特徴

マドゥラの舞踊(1890–1917年)

マドゥラ族は一般に勤勉で、移住性が強いとされる。マドゥラ島は農業条件が厳しい地域が多く、このことが古くから移住文化を育んだとされる。

著名人

マドゥラ出身の著名人には以下がいる。

また、独立運動期の英雄として以下が知られる。

宗教指導者としては以下が著名である。

宗教

マドゥラ族の多くはイスラム教を信仰しているが、少数ながら他宗教の信者も存在する。マドゥラ島には多くのプサントレン(イスラム寄宿学校)が存在し、宗教教育と地域社会の生活に深く関わっている。

社会文化

マドゥラ族の価値観の中核には「名誉」があり、「lebbi bagus pote tollang, atembang pote mata」(白い骨のほうがよい、白い目になる=恥をかくより死を選ぶ)ということわざに象徴される。この価値観は歴史的に「カロック」と呼ばれる抗争慣習を生んだが、近年は教育の普及により弱まりつつある。

また、Rampa' Naong Bhringin Korong(大樹が弱者を守るように助け合う)、Abhântal Ombâ' Asapo' Angen Salanjhânga(波を枕に、風を布団に=人生の困難を受け入れる)といった哲学が人々に共有される。

マドゥラ島の東部(スーメネプ、パメカサン)は西部(サンパン、バンカラン)より言語的に柔らかいとされ、西部はより乾燥した地域であることから移住志向が強いともいわれる[要出典]

脚注

関連項目

外部リンク

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