マニフェスト (競走馬)
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| マニフェスト | |
|---|---|
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Heroes and heroines of the Grand National(1907)挿絵 | |
| 欧字表記 | Manifesto[1] |
| 品種 | サラブレッド[1] |
| 性別 | 騸 |
| 毛色 | 鹿毛[1] |
| 生誕 | 1888年[1] |
| 父 | Man of War[1] |
| 母 | Vae Victis[1] |
| 母の父 | King Victor[1] |
| 生国 | イギリス[1] |
| 競走成績 | |
| 勝ち鞍 | グランドナショナル(1897、99年) |
マニフェスト (Manifesto) はアイルランドで生まれ、アイルランドおよびイギリスで調教された競走馬。19世紀から20世紀にかけて障害競走で傑出した成績を収めた。
マニフェストは1888年にハリー・ダイアスの所有するナヴァン近くの牧場で父マンオブウォー (Man of War) と母ヴィーヴィクタス (Vae Victus) のもとに生まれ、4歳のときにマンチェスターで行われたスティープルチェイスが初出走となった。同年にレパーズタウンで行われたアイリッシュチャンピオンスティープルチェイスに優勝し、これを最後にイギリスで競走生活を送ることになる。
初めてグランドナショナルに出走したのは1895年のことである。11ストーン2ポンド(約70.8キログラム)のハンデで出走したが、優勝したワイルドマンフロムボルネオの4着に敗れた。翌年も出走したものの転倒により競走を中止した。
グランドナショナルで初勝利を挙げたのは9歳となった1897年のことである。11ストーン3ポンド(約71.2キログラム)を背負ってのものだった。レースは28頭立てで行われ、2年前の優勝馬ワイルドマンフロムボルネオ、前年の優勝馬ザソアラーも出走していたが、いずれも途中で競走を中止している。1898年にマニフェストはハリー・ダイアスからブルティールに4000ポンドで売却された。この年はグランドナショナルには出走していない。
1899年にマニフェストは2度目の優勝を飾った。これは12ストーン7ポンド(79.4キログラム)というグランドナショナルで最も重いハンデでの勝利であり、同じハンデを背負ってグランドナショナルを優勝したのはほかに3頭しかいない。1900年は12ストーン13ポンド(82.1キログラム)で出走して3着に健闘した。なお、優勝したドロエダとは13キログラム以上の斤量差があった。
1901年はグランドナショナルに出走せず、1902年、1903年はそれぞれ12ストーン8ポンド、12ストーン3ポンドでともに3着。最後の出走となった1904年、16歳となったマニフェストは12ストーン1ポンドのハンデで6着に終わった。