マニラ連続保険金殺人事件
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- A事件 - 3人(他に1人が犯行を幇助)
- B事件 - 2人
| マニラ連続保険金殺人事件 | |
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| 場所 |
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| 日付 |
2014年(平成26年) - 2015年(平成27年) A事件 - 2014年10月18日[1] B事件 - 2015年8月31日ないし9月1日[2] |
| 攻撃側人数 |
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| 死亡者 | 2人 |
| 被害者 | 山梨県在住の男性2人(A・B) |
| 犯人 |
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| 動機 | 保険金目的 |
| 対処 | 犯人として男女4人を逮捕・起訴[1] |
| 刑事訴訟 | |
| 管轄 | |
マニラ連続保険金殺人事件(マニラれんぞくほけんきんさつじんじけん)は、2014年(平成26年)から2015年(平成27年)にフィリピンの首都・マニラで日本人男性2人が相次いで射殺された保険金殺人事件[3]。被害者2人はいずれも日本の山梨県在住で、それぞれ主犯とされる男I(山梨県笛吹市在住:2023年に死刑確定)の知人でもあった[3]。
2014年10月18日、整骨院経営の男性A(当時32歳:韮崎市在住)がマニラで射殺され[1]、翌2015年には会社役員の男性B(当時42歳:笛吹市在住)も同様に射殺された[3]。被害者2人にはいずれも、Iが大株主だった会社を受取人とする死亡保険金が掛けられており、2人はIらが現地で雇ったヒットマンによって拳銃で射殺されたと刑事裁判で認定されている[3]。
事件後、2016年(平成28年)5月12日に山梨県警察が主犯Iら男女4人を逮捕した[1]。Iは2023年6月に最高裁で死刑が確定したが[4]、同年8月に収監先の東京拘置所で病死した[5]。
Aに対する詐欺・殺人
2014年(平成26年)7月4日、 入院していた山梨県甲府市の男Xは笛吹市の飲食店経営者でXの高校の同級生でもある男Iの見舞いを受ける[6]。Iは会社役員の男性B(事件当時42歳)を殺害して保険金を得る計画をXに持ちかけ、フィリピンでヒットマンを雇えるかを相談した。Xは、Bの保険金が手に入ればフィリピンでうなぎの稚魚の事業を行うことができるとIに説得されてこの話に乗ることにし、妻のフィリピン人Zとかつてフィリピンで知り合ったYにヒットマンの手配を頼んだ。8月、Iは、殺害対象をBから整骨院経営の男性A(事件当時32歳)に変更したこと、Bが経営する建材卸会社を保険加入に利用するためにBを仲間に加えたことをXに伝えた。I・X・Bは、XがAを殺害するヒットマンの手配、IとBがAを被保険者とする保険の加入手続きやそれに必要な登記手続きをするという役割分担を決めた。IとBはBの会社を受取人とする1億円の保険にAを加入させる手続きを行い、I、Xもこの会社の役員にした[7]。
9月16日、Iは、XとBを含めた4人で300万円ずつ拠出してフィリピンで新会社を設立することをAに持ちかけた。実際はI・X・Bに金を拠出する意思はなく、Aだけに金を拠出させた上、その金をA自身を殺害するヒットマンの報酬金に充てる算段だった。翌17日から18日にかけて、I・X・BはAを含めた4人が参加するLINEのトークルームにおいてXの口座に300万円を振り込んだという虚偽を送信してAをだまし、AはXの口座に300万円を振り込んだ[7]。
10月ごろ、IはX・BとともにLINEのトークルーム上でフィリピンの多数の信徒を抱える神父がI達の事業に興味を示しているという架空の話をAに伝え、Aはフィリピンに渡航することに乗り気になった[7]。
10月8日から10日にかけて、IはX・Bと共謀してフィリピンでの追加費用として必要な70万円をAからだまし取ることを計画した。Iは、後見人であるCに前述の300万円の拠出を反対されてIの旅券を取り上げられたという架空の話をAに語り「このままではフィリピンに渡航できない」として、I・X・A・Bの4人で70万円ずつ 拠出して集めた現金をCに「Xらから取り戻した300万円」として見せて旅券を取り戻すことを持ちかけた。Iは、金はフィリピンから帰国した後に返還するとしてAをだまし、AはBの口座に70万円を振り込んだ[7]。
10月19日午前0時30分ごろ(日本時間)、Aはフィリピンのマニラ首都圏ラスピニャス市内において近づいてきたバイクの男に胸を拳銃で撃たれ、同市内の病院で胸部臓器損傷により死亡した。YはIの指示でAをマニラの繁華街からタクシーに乗って殺害現場に連れ出し、Yは殺害現場に到着するとタクシーを降り、直後にAは撃たれた[7]。
A殺害後、IらはAの生命保険金を得る上で必要な家族の押印を得るためにAの遺族と何度も連絡をとるが会うことができず、生命保険金を取得することができなかった。このためIらは、2015年(平成27年)1月から3月にかけて、Aの遺族から貸付金等回収名目で金銭をだましとろうと企てたが、Aの遺族の弁護士がIの嘘を信じなかったため、Iらは金銭を得ることが出来なかった[7]。
Yに対する殺人計画
2014年12月ごろ、IはYに保険金をかけて殺害することをXに持ちかけた。だが2015年3月、Yが行方不明になったためこの計画は断念された[7]。
Bに対する殺人
4月12日、IはXに、Bに保険を掛けてフィリピンで殺害する計画を持ちかけた。Xは了承し、A殺害時同様Xがヒットマンの手配、IがBを加入者とする保険の加入手続きを担うことになった[7]。
Bをフィリピンに連れ出すためにIは音信不通となっていたYの居場所がわかったとBに虚偽を告げた。5月9日から24日にかけて、I・X・Bでフィリピンに渡航。ヒットマンと保険の準備が整っていればBを殺害する予定での渡航だったが、保険の準備が間に合わず殺害は実行されなかった。6月20日から7月2日にかけてもフィリピンに渡航するが、この時はヒットマンの手配が出来ず殺害を断念。7月11日から14にかけて3度目のフィリピン渡航。この時はBがパスポートを忘れたと言って渡航せず、殺害は実行されなかった[7]。
8月22日から、4度目のフィリピン渡航。8月31日から翌9月1日にかけて、Xが殺害現場にBを誘導し、ヒットマンがマニラ首都圏ラスピニャス市内でBの胸を拳銃で撃ち、Bはマニラ南部の住宅街の路上に倒れて胸部射創による左血気胸及び胸部臓器損傷により死亡した。だが、Iらは今回も保険金を得ることができなかった[7]。
逮捕・起訴
2016年(平成28年)5月12日、山梨県警はI・X・Y・ZをAに対する殺人容疑などで逮捕した[1]。Iらは同年6月7日、Bに対する殺人容疑などでも再逮捕された[1]。甲府地検はIとXをA・Bに対する殺人罪で、YをAに対する殺人罪で、ZをAに対する殺人幇助罪でそれぞれ起訴した。