マリエンブルク条約
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歴史
1656年1月、スウェーデン王カール10世はブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムを封臣にし、プロイセン公国を封土として与えた[2](ケーニヒスベルク条約)。しかし、マリエンブルク条約が締結された時点ではスウェーデンの戦況が悪化しており、カール10世はフリードリヒ・ヴィルヘルムを味方にすべく報酬を与えた[1]。フリードリヒ・ヴィルヘルムはプロイセン公としてスウェーデンの臣下にあり続けるものの、大ポーランドの4県の世襲主権を得る代わりに[3]、カール10世のポーランド戦役に参加し続けた[1]。この同盟は7月のワルシャワの戦いには勝利したものの、その後の戦役では膠着に陥ったため、フリードリヒ・ヴィルヘルムは11月のラビアウ条約でプロイセンの完全独立を得た[4]。