マリーア・ゴンザーガ
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| マリーア・ゴンザーガ Maria Gonzaga | |
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マリーア・ゴンザーガ、作者不詳、クルタトーネ・デッラ・ベアータ・ヴィルジーネ・デッレ・グラツィエ巡礼教会蔵 | |
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| 出生 |
1609年7月29日 |
| 死去 |
1660年8月14日(51歳没) |
| 配偶者 | マイエンヌ公シャルル(カルロ) |
| 子女 |
カルロ2世 エレオノーラ |
| 家名 | ゴンザーガ家 |
| 父親 | フランチェスコ4世・ゴンザーガ |
| 母親 | マルゲリータ・ディ・サヴォイア |
マリーア・ゴンザーガ(Maria Gonzaga, 1609年7月29日 マントヴァ - 1660年8月14日 マントヴァ)は、イタリアのゴンザーガ家の公女、マイエンヌ公シャルル(カルロ)の妃。未成年の息子に代わりマントヴァ公国・モンフェッラート公国の摂政(在任1637年 - 1647年)を務めた。
マントヴァ公フランチェスコ4世・ゴンザーガとその妻でサヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世の娘であるマルゲリータの間の長女[1]。3歳で父を亡くし、公爵位を継いだ2人の叔父フェルディナンド1世・ヴィンチェンツォ2世の後見下で育った。
1627年12月25日、ヴィンチェンツォ2世の後継者であった傍系のヌヴェール公シャルル(カルロ)の長男マイエンヌ公シャルル(カルロ)と結婚。この同族内結婚は傍系ヌヴェール家へのマントヴァ公爵位継承を確実にするためのものだったが、結果としてスペインとフランスの国際対立を招き、マントヴァ継承戦争を引き起こした。
夫とは1631年に死別した。1637年の義父の死後、息子カルロ2世がマントヴァ公となるが、幼少のためマリーアが10年にわたり摂政を務めた。