両親はすぐに彼女の才覚に気付き、12歳の時にプリュムのボーディングスクールに入れてドイツ語や算術を学ばせた。またプリュムのベネディクト修道院でバイオリンの稽古もしている。彼女は博物学に興味を持ち、マルメディに戻ると周囲を散策しては植物や鉱物を採集し、父の書斎の書籍を調べるためにラテン語を習得した。その植物標本をヴェルヴィエの医師・植物学者アレクサンドル・ルイ・ルジュヌ(Alexandre Louis Lejeune, 1779-1850)に見せたことがきっかけで、植物学に本格的に取り組むことになる。ルジュヌは北フランスの植生調査のためにウルト川地域の植物目録を準備していたので、彼女にマルメディ周辺の高山植物の標本作製を依頼し、それに必要な文献を提供したのである。ルジュヌのRevue de la flore des environs de Spaに挙げられた維管束植物の多くは彼女の手によるものである。
1810年、当時モンペリエ大学の教授でベルギーを調査旅行中だった植物学者オーギュスタン・ピラミュス・ドゥ・カンドールに出会う。彼女はルジュヌとともにドゥ・カンドールに同行したが、ドゥ・カンドールは彼女の知識や能力に、またアルデンヌの植生の豊かさに驚き、これまで注目されなかったこの地域の研究を彼女に勧めた。彼女は勧めにしたがい精力的に標本を集め、その成果は1830年から1837年にかけて出版された彼女の主著Plantae Cryptogamicae quas in Arduenna collegitにまとめられている。これは4巻からなる標本集で、シダ、コケ、藻類、菌類、地衣類など400点が含まれ、それぞれにラテン語の説明が付けられている。編集や刊行に際してはルジュヌが大いに協力している。これにより彼女の名声はヨーロッパ中の植物学者たちに広まり、プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世からメダルを授与されるほどであった。