マルクス・ウァレリウス・マクシムス・ポティトゥス
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経歴
紀元前286年、ポティトゥスは執政官に就任。同僚執政官はガイウス・アエリウス・パエトゥスであった[1]。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』のこの部分は本文が欠落しており、要約にもポティトゥスのことは触れられていない[2]。ディオニュシオスの『ローマ古代誌』、ディオドロスの『歴史叢書』といった主要な歴史書もこの年代は断片しか残っておらず、業績は不明である。
前年にはプレブス(平民)出身の独裁官(ディクタトル)クィントゥス・ホルテンシウスがホルテンシウス法を制定し、パトリキとプレブスの法的な平等が実現された。しかし、ホルテンシウスは任期中に死亡しており、大プリニウスはこの年も両者の紛争が続いたと述べている[3]。
また、この年には、護民官アクィリウスによって賠償責任に関する法であるアクィリウス法(en)が制定された可能性がある[4]。