イリノイ州の Momenceに生まれた。インディアナ州のウェストラファイエットで育った。パデュー大学で土木工学のための奨学金を得たが、大学では物理学の学士位を得て、アンダーソンやシカゴやインディアナポリスで放送の仕事についた。
1943年1月、海軍予備隊に召集された。海軍はロスをシカゴ大学で9カ月間気象学を学ばせ、パールハーバーの艦隊気象センター(Fleet Weather Center)に配属し、後に東京や硫黄島を攻撃する航空母艦サラトガに気象士官として配属した。
第二次世界大戦終了後民間に戻ったが、朝鮮戦争が始まると海軍予備隊に戻り、1951年、ミネアポリスの海軍研究所(Office of Naval Research:ONR)に配属された。ONRは無人気球の開発、プロジェクト・スカイフックを行っており、1953年にロスはワシントンのONRの研究所の気球プロジェクトの主任となり、気球による高空での宇宙線の観測、気象データの収集を指揮した。ガラパゴス島などで、宇宙線の観測、気象データの収集を行うプロジェクト・チャーチィー(Project Churchy)の技術主任を務め、1954年にはミネアポリス上空で気球から日食の写真を撮影した。
1954年に高空の大気の研究のために有人気球のプロジェクト、プロジェクト・ストラト・ラボを始め、自らも気球パイロットのライセンスを取り、成層圏の観測のために、研究者などと100時間以上の気球搭乗を行った。