マルコ・リッチ
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略歴
当時ヴェネツィア共和国のベッルーノで生まれた。叔父のセバスティアーノ・リッチ(Sebastiano Ricci、1659-1734)は歴史画を描いてヴェネツィアで有名な画家になっていて、叔父から絵を学び、助手になった。人物画が得意な叔父と風景画が得意であったマルコ・リッチはしばしば共作した。
若い頃には、街で乱闘に加わることもあり、酒場でゴンドラ乗りを殺してしまいダルマチアのスプリトで、逃亡生活を送り[1]、スプリトでアントニオ・フランチェスコ・ペルッツィーニ(Antonio Francesco Peruzzini: 1643/1646-1724)というアンコーナ出身の風景画家のスタジオで働いた。
1704年から1708年の間はフィレンツェに滞在し、叔父がフェルディナンド・デ・メディチから注文を受けたピッティ宮殿の装飾画制作に参加し[2]、フェンツィ宮殿(Palazzo Fenzi)の装飾にも参加し、天井画を制作した。
1708年にイギリスの有力な政治家マンチェスター卿が外交団の大使としてヴェネツィアに滞在していた時に、マルコ・リッチとアントーニオ・ペレグリーニはロンドンに招かれ、ロンドン、ヘイマーケットのヒズ・マジェスティーズ劇場の支配人オーウェン・スウィニーの依頼でイタリア・オペラの舞台美術の仕事をした[1]。イギリス滞在中にイギリスのプリマドンナ、キャサリン・トフツ(Catherine Tofts)の絵も描き、トフツは1711年にヴェネツィアを訪れた。マルコ・リッチはオランダに短期間旅した後、ヴェネツィアに戻った。その後、叔父とともに再びロンドンに移り、1812年から1816年までロンドンで働いた。
ヴェネツィアに戻った後、キャサリン・トフツ(1717年に実業家のジョセフ・スミスと結婚)はマルコ・リッチやセバスティアーノ・リッチの良い顧客になった。ヴェネツィアの劇場(Teatro San Giovanni Grisostomoや Teatro Sant'Angelo)の舞台美術の仕事もした。1723年から版画も制作した。
1730年にヴェネツィアで亡くなった。
作品
- 夕暮れのイタリアの風景
絵画館 (ベルリン) - オペラのリハーサル(c.1709)
Yale Center for British Art - ローマを描いたカプリッチョ (奇想画)
- 塔のある海岸の風景(1725/1720)
