マルシンヴィラーゴ

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欧字表記 Marushin Virago[1]
品種 アングロアラブ(アラブ血量30.12%)[1]
性別 [1]
マルシンヴィラーゴ
欧字表記 Marushin Virago[1]
品種 アングロアラブ(アラブ血量30.12%)[1]
性別 [1]
毛色 青鹿毛[1]
生誕 1990年3月28日[1]
死没 2003年5月30日(13歳没)
抹消日 1995年2月24日[2]
ローゼンタイム[1]
マンナクイーン[1]
母の父 ヒカルマンナ[1]
生国 日本の旗 日本北海道鵡川町[1]
生産者 杉山義憲[1]
馬主 梅川文仁[1]
調教師 米川伸也(北海道[1]
競走成績
生涯成績 9戦7勝[1]
獲得賞金 3490万円[1]
勝ち鞍 全日本アラブ争覇(1992年)
ジュニアチャンピオン(1992年)
アラブ優駿(1993年)
[1]
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マルシンヴィラーゴ[1]日本アングロアラブ系種競走馬繁殖牝馬1992年全日本アラブ争覇、ジュニアチャンピオン、1993年のアラブ優駿。

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]および参考文献

1992年9月3日、札幌競馬場でのアラブ系3歳戦でデビューし、2着に1秒2差つけて1着。岩見沢競馬場に転戦して3歳戦、くるみ特別と連勝して重賞競走ジュニアチャンピオンでも2着ヘイセイカザンに1秒3差をつけて4連勝とする。このあと川崎競馬場の全日本アラブ争覇に遠征し、レースでは2着ランドアポロに2秒4の大きな着差をつけ、さらに1分40秒1のレコードタイムで優勝した。4歳となった1993年は楠賞全日本アラブ優駿を目指すべく園田競馬場に遠征し、トライアル競走を勝って5連勝を達成して楠賞全日本アラブ優駿に臨み、レースでは1番人気に支持されたものの、飛行機の音に驚いて馬がパニックになった上、スタートで躓いてハナに立てず揉まれる競馬となり、全く能力を発揮することなく7着に終わった。その後は北海道に戻りアラブ優駿を優勝した。翌年に岩見沢競馬場の銀杯に出走したが、レース前の調教でラチに激突し肩に外傷を負い、まともに使える状態ではなかった事が影響して7着と惨敗した。結局最後のレースとなり、1995年2月24日に登録を抹消された[2]

エピソード

馬名のうちのヴィラーゴ英語版とは「じゃじゃ馬」という意味であるが、その名に違わずさまざまなエピソードを残している。

  • 特記事項なき場合、本節の出典は参考文献
    • 癖馬のため騎乗者は限られ、デビュー前の調教では突然逆走してほかの馬と衝突し、相手の馬は殺処分となってしまった。マルシンヴィラーゴ自身も大怪我を負ったが、治療してデビューを迎えたという。
    • 厩舎の馬房では壁を蹴る癖があるため緩衝材として畳を敷いたが、3日で使い物にならなくなってしまった。
    • 引き運動すらまともにできず、厩舎関係者を2人病院送りにしている。
    • 追うとどこに行くのかわからないような状態だったため、まともに追うことが出来なかった。そのため、勝利したレースではほとんどが馬なりでの勝利である。
    • 周りに他の馬がいると調教にならないので、調教は深夜の12時半から真っ暗な競馬場で1頭だけで行っていたという。
    • 全日本アラブ争覇では担当調教師補佐が「レコードタイムを破って見せる」と宣言。川崎競馬場関係者はホラだと見ていたが、予告通りレコードタイムを破って川崎競馬関係者を驚かせた。なお、川崎競馬のレコードは中央競馬と違い、3歳と古馬で分けられておらず、事実上古馬のレコード(旧レコードはダライラマが1973年7月23日に4歳時にマークした1分40秒6)を破っている。しかも時計の出にくい良馬場であった上、マルシンヴィラーゴが走っていた時代はダライラマが走っていた時代と比較して砂が深く、時計がかかっていたので驚きもなおのことであったという。
    • このタイムは翌日に行われたサラブレッド系の古馬A3下特別の勝ちタイムである1分41秒6より1.5秒も速いものであった。
    • 川崎競馬場の場合、遠征馬は競馬場から3km離れた小向トレセンに入厩し、その後競馬場に輸送するが、輸送に耐えられないため、特別に競馬場に併設の物置を改造した馬房に入厩する事が認められたという。

競走成績

以下の内容は、JBISサーチ[3]に基づく。

年月日競馬場競走名距離(馬場)頭数枠番馬番(人気)着順タイム着差騎手斤量
[kg]
勝ち馬/(2着馬)
1992.9.3 札幌(公) アラブ系3歳 ダ1000m(重) 8 7 7 (1人) 1着 1:01.6 -1.2 米川昇 53 (リボテイオー)
9.10 岩見沢 アラブ系3歳 ダ900m(不) 7 5 5 (1人) 1着 0:57.3 -0.9 米川昇 53 (カツノホマレ)
9.30 岩見沢 くるみ特別 ダ1400m(重) 12 8 11 (2人) 1着 1:33.3 -0.9 米川昇 53 (グレートイーグル)
10.29 岩見沢 ジュニアチャンピオン ダ1600m(稍) 9 7 7 (1人) 1着 1:46.6 -1.3 米川昇 53 (ヘイセイカザン)
11.25 川崎 全日本アラブ争覇 ダ1600m(良) 8 7 7 (1人) 1着 R1:40.1 -2.4 米川昇 53 (ランドアポロ)
1993.4.21 園田 全日本アラブ優駿トライアル ダ1800m(良) 8 6 6 (1人) 1着 2:03.1 -0.6 米川昇 55 (ホリタエンジェル)
5.19 園田 楠賞全日本アラブ優駿 ダ2300m(不) 12 5 5 (1人) 7着 2:38.8 3.2 米川昇 53 ダイメイゴッツ
9.15 札幌(公) アラブ優駿 ダ2400m(良) 9 3 3 (1人) 1着 2:39.3 -1.2 角川秀樹 54 (キタノナイス)
1994.5.3 岩見沢 銀杯 ダ1400m(良) 10 4 4 (1人) 7着 1:32.1 2.0 米川昇 53 クライムデザイアー

引退後

引退後はマルゼン橋本牧場で繁殖牝馬となり、3番仔マルシンランサーが荒尾競馬場の重賞門松賞を、4番仔デザートビューが福山競馬場クイーンカップ、銀杯に優勝している。5番仔と6番仔はサラブレッドと交配された。2003年から2004年以降、繁殖記録はない[4]

産駒一覧

生年馬名毛色馬主管理調教師戦績主な勝利競走供用出典
初仔1996年オリオンザリンボー栗毛フアストセンプウ日浦桂子
→池田和利
園田曾和直榮
佐賀・西岡龍三
36戦9勝[5]
2番仔1997年マルサンヴィラーゴ鹿毛ボールドマン松井三千年福山・弓削和彦61戦12勝[6]
3番仔1999年マルシンランサー栗毛トライバルセンプー木村學荒尾・古澤清次28戦15勝2002年門松賞[7]
4番仔2000年デザートビュー鹿毛寺島義典福山・徳本慶一17戦9勝2003年クイーンカップ(福山)
2003年銀杯
(繁殖牝馬)[8]
5番仔2002年オオセイシュウ栗毛シャンハイ藤井直久園田・清水正人10戦3勝[9]
6番仔2003年インディペンデント鹿毛ワレンダー井上孝夫園田・橋本忠男10戦3勝[10]

血統表

脚注

参考文献

外部リンク

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