マルワーン・ブン・アブドゥルマリク
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死没715/6年または716/7年
親アブドゥルマリク(父)
ワッラーダ・ビント・アル=アッバース・ブン・アル=ジャズ(母)
ワッラーダ・ビント・アル=アッバース・ブン・アル=ジャズ(母)
| マルワーン・ブン・アブドゥルマリク・ブン・マルワーン | |
|---|---|
| ウマイヤ朝のカリフ位継承候補者 | |
| 個人情報 | |
| 死没 | 715/6年または716/7年 |
| 親 | アブドゥルマリク(父) ワッラーダ・ビント・アル=アッバース・ブン・アル=ジャズ(母) |
| 親族 | ワリード1世(同母兄弟) スライマーン(同母兄弟) ヤズィード2世(異母兄弟) ウマル2世(従兄弟) |
マルワーン・ブン・アブドゥルマリク・ブン・マルワーン(アラビア語: مروان بن عبد الملك بن مروان, ラテン文字転写: Marwān b. ʿAbd al-Malik b. Marwān)、または同名の異母兄弟と区別する際の呼び名であるマルワーン・アル=アクバル(アラビア語: مروان الأكبر, ラテン文字転写: Marwān al-Akbar,「年長のマルワーン」の意、715/6年または716/7年没)は、ウマイヤ朝のカリフのアブドゥルマリクの息子であり、一時期カリフ位の継承候補者とされていた人物である。