マル追計画
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日米開戦が避けられなくなった1941年(昭和16年)11月、戦争遂行に必要となる潜水艦の不足分の建造が軍令部より要求された。そこで④計画、マル臨計画、マル急計画でも不足する分、32隻を建造することとなり、これをマル追計画と呼んだ。この32隻は⑤計画の一部を繰り上げて建造したものと推定される[1]。後に標的艦1隻の建造が追加された。その他航空機の増産を繰り上げ、新たな航空隊の整備に着手することも計画された。計画全体としては1943年(昭和18年)度末までの完成を目指した。
艦艇予算の総額は4億5583万0800円だったが、後に480万0000円が追加され、合計で4億6063万0800円となっている。潜水艦32隻の予算はマル急計画と合同で第79,81帝国議会に分割で提出され、臨時軍事費予算(昭和17–18年度所要額と18–19年度所要額)として成立した。標的艦の予算は第78・79帝国議会で昭和17–18年度所要額として成立した。