マンガリア
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マンガリア Mangalia | ||
|---|---|---|
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ムニチピウ | ||
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マンガリアのビーチとホテル | ||
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コンスタンツァ県における位置 | ||
| 北緯43度49分02秒 東経28度34分58秒 / 北緯43.81722度 東経28.58278度座標: 北緯43度49分02秒 東経28度34分58秒 / 北緯43.81722度 東経28.58278度 | ||
| 国 |
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| 県 | コンスタンツァ県 | |
| 政府 | ||
| • 市長 | Cristian Radu[1] (PNL) | |
| 面積 | ||
| • 合計 | 62.26 km2 | |
| 人口 (2011)[2] | ||
| • 合計 | 36,364人 | |
| • 密度 | 580人/km2 | |
| 等時帯 | UTC+2 (EET) | |
| • 夏時間 | UTC+3 (東ヨーロッパ夏時間) | |
| ウェブサイト |
www | |
マンガリア (ルーマニア語: Mangalia, ルーマニア語発音: [maŋˈɡali.a], トルコ語: Mankalya) は、ルーマニア、北ドブロジャのコンスタンツァ県南東部にある都市である。黒海に面する港町。
かつてはギリシャ語の「カラティス (Κάλλατις, Καλλατίς)」と呼ばれた。また、「パンガリア (Pangalia)」、「パングリカラ (Panglicara)」、「トミソヴァラ (Tomisovara)」という旧名もある。町内には、カプ・アウロラ、ジュピテル、ネプトゥン、オリンプ、サトゥルヌ、ベヌスといったビーチリゾートが存在する。
7世紀中頃まで、町の名称はギリシャ語でカラティスと呼ばれていた。10世紀に町が再建され、13世紀にはパンガリアへと改名された[3]。その後、ヴラフ人はトミソヴァラ[4]、ギリシャ人はパングリカラという名前をつけていたが[4]、16世紀からは現在同様のマンガリアとなっている。
ギリシャの植民地であるカラティスは、紀元前6世紀にヘラクレア・ポンティカが建設した[5]。紀元前350年頃には、銀貨の鋳造が始まった。紀元前72年、カラティスはローマの将軍、ルキウス・リキニウス・ルクッルスに征服され、ローマの属州モエシアの下に置かれた。その後は2世紀にかけて、防衛のための要塞が建設され、ローマの皇帝、セプティミウス・セウェルスやカラカラのもとで貨幣の鋳造は続けられた。3世紀には何度かの侵攻に悩まされるが、4世紀には復活し、重要な貿易の中心地、港町としての地位を取り戻した[6]。7世紀から11世紀までは、第一次ブルガリア帝国の支配下に置かれた。
地理と気候
マンガリアは、北緯43度49分、東経28度35分に位置し、標高は10m、コンスタンツァの44kmほど南にある。緯度はフランスのリゾート、ニースと同等で、黒海沿岸におけるルーマニア最南端のリゾート地の1つである。
温暖な海洋性気候を特徴とし、年間の平均気温は11℃とルーマニアでは最も高い。夏は暑く(7月の気温は平均21℃以上)、冬は温暖(1月の平均気温は1℃と氷点下にならない)で、国内ではバイレ・ヘルクラネに次いで2番目に暖かい。春は早く訪れるが涼しく、一方で秋は長く暖かい。夏は曇りが少なく、月間の25日ほどは晴れており、1日の日照時間は10時間から12時間ほどである。年間降水量は400mmほどと少ない。
夏は海風が強い。黒海の海水には豊富な鉱物が含まれ、自然治癒に向く。北部のサトゥルヌとベヌスの間にある泉からは、硫黄を含んだ泥が湧き出ており、これは250年間持続すると予測されている。
| マンガリアの気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 平均最高気温 °C (°F) | 5 (41) |
6 (43) |
9 (48) |
13 (55) |
19 (66) |
23 (73) |
26 (79) |
26 (79) |
22 (72) |
17 (63) |
11 (52) |
7 (45) |
15 (59) |
| 平均最低気温 °C (°F) | −2 (28) |
−1 (30) |
2 (36) |
7 (45) |
12 (54) |
16 (61) |
18 (64) |
18 (64) |
14 (57) |
10 (50) |
4 (39) |
1 (34) |
8 (46) |
| 出典:Weatherbase[7] | |||||||||||||
人口動態
| 人口推移 | ||
|---|---|---|
| 年 | 人口 | ±% |
| 1912 | 1,929 | — |
| 1930 | 2,764 | +43.3% |
| 1948 | 4,547 | +64.5% |
| 1956 | 4,792 | +5.4% |
| 1966 | 12,674 | +164.5% |
| 1977 | 26,821 | +111.6% |
| 1992 | 43,960 | +63.9% |
| 2002 | 40,037 | −8.9% |
| 2011 | 36,364 | −9.2% |
| Source: 国勢調査 | ||
2011年の国勢調査によれば、住民の90.6%がルーマニア人、4.4%がトルコ人、3.6%がタタール人、0.5%がロマ、0.3%がリポヴァン人、0.6%がそれ以外の民族に属する。また信仰する宗教は、89.5%はルーマニア正教会、8.3%がイスラム教、0.9%がカトリック教会、0.3%がペンテコステ派、残りは1%であった。
観光名所
- カラティス・フェスティバル - ルーマニア最大の夏のイベントの開催地となっている
- スキタイの墓 - 1959年に発見された。ルーマニアでは初となる、ギリシャ語で書かれたパピルスの破片が見つかった
- 墓地の焼却施設 - 紀元前4世紀〜2世紀のカラティス要塞に置かれた墓地の遺跡
- カラティス要塞跡 - 紀元前6世紀
- イスマハン・スルタン・モスク - 16世紀
- 考古学博物館 - ヘレニズム時代のアンフォラや彫刻、石棺の破片など、豊富なコレクションを所蔵する
- マンガリア港
ギャラリー
- ホテルプレジデントの地下には、4世紀〜7世紀のローマ=ビザンチン帝国時代における、カラティスの遺構が展示されている
- イスマハン・スルタン・モスク
- マリーナ
- 港の夜景
- 灯台