マンスフィールド伯爵

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マンスフィールド伯爵
Earl of Mansfield

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th, Azure three Mullets Argent within a Double Tressure flory counterflory Or (Murray); 2nd and 3rd, Gules three Crosses Patée Argent (Barclay) Crest:A Buck's Head couped Or with a Cross Patée between his antlers Argent Supporters:On either side a Lion Gules armed Or
創設時期1776年10月31日
及び1792年8月1日
創設者ジョージ3世
貴族グレートブリテン貴族
初代初代伯ウィリアム・マレー英語版
現所有者9代伯アレクサンダー・マレー英語版
相続人ストーモント卿ウィリアム・マレー
付随称号ストーモント子爵S
スクーン卿(S)
バルヴェアード卿(S)
現況存続
邸宅スクーン・パレス英語版
旧邸宅ケンウッド・ハウス
バルヴェアード城英語版
モットー徳のみを友とせん
(Uni Aequus Virtuti)
より良きを欲せよ
(Spero meliora)

マンスフィールド伯爵: Earl of Mansfield)は、イギリスの伯爵貴族グレートブリテン貴族爵位。法曹家ウィリアム・マレー英語版に対して2度創設されており、両爵位ともマレー家によって継承されている。

初代伯の肖像画
伯爵家の現邸宅スクーン・パレス英語版

法曹家ウィリアム・マレー英語版(1705-1793)王座裁判所主席裁判官英語版に就任した直後の1756年11月8日ノッティンガム州マンスフィールドのマンスフィールド男爵(Baron Mansfield, of Mansfield in the County of Nottingham)に叙された[1][2][3]。彼はさらに1776年ノッティンガム州マンスフィールドのマンスフィールド伯爵(Earl of Mansfield, of Mansfield in the County of Nottingham)に昇叙した[2][3]。この爵位には甥の妻ルイーザと、その夫妻の男子にも継承を認める残余権が付与されていた[4]。また、初代伯は公職を退いてケンウッド・ハウスに隠遁したのち、最晩年にあたる1792年にもミドルセックス州マンスフィールドのマンスフィールド伯爵(Earl of Mansfield, of Mansfield in the County of Middlesex)を授けられている[2][3][5]。この爵位にも甥の第7代ストーモント子爵デイヴィッド・マレーへの相続を許す特別継承権が認められていた[4]。彼が翌年に子のないまま死去すると男爵位は廃絶した一方、1776年創設の伯爵位は甥の妻ルイーザ英語版へ、1796年創設の伯爵位は甥デイヴィッドへとそれぞれ相続された[註釈 1][2][4][6]

その後、初代伯の甥夫妻の孫ウィリアム・デイヴィッド英語版(1806-1898)1840年に父(3代伯)から1776年創設の伯爵位を、1843年に祖母ルイーザから1796年創設の伯爵位をそれぞれ継承したため、これ以降の伯爵家当主は2つの伯爵位を帯びる[註釈 2][2][4]

その孫の5代伯ウィリアム・デイヴィッド(1860-1906)には子がなかったため、爵位は彼の弟アラン(6代伯)の系統に移行、現在に至るまで彼の直系男子によって継承され続けている[2][4]

その6代伯の曾孫にあたる9代伯アレクサンダー(1956-)がマンスフィールド伯爵家現当主である。


一族の邸宅はパース=キンロス州スクーンに位置するスクーン・パレス英語版。かつての邸宅には同州に所在するバルヴェアード城英語版や、ロンドンハムステッド地区にあるケンウッド・ハウスがあった。

現当主の保有爵位

現当主である第9代マンスフィールド伯爵アレクサンダー・マレー英語版は以下の爵位を有する[4]

一覧

かつての一族の邸宅ケンウッド・ハウス。現在は美術館

マンスフィールド伯爵(1776年)

以降の歴代伯爵は、下記のマンスフィールド伯爵(1792年)を参照。

マンスフィールド伯爵(1792年)

法定推定相続人は現当主の息子であるストーモント子爵(儀礼称号)ウィリアム・フィリップ・デイヴィッド・ムンゴ・マレー(1988-)。

脚注

参考文献

関連項目

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