Wikiwand AI

マンナ (競走馬)

イギリスの競走馬・種牡馬 From Wikipedia, the free encyclopedia

マンナ英語: Manna1922年 - 1939年10月)は、イギリス調教の競走馬である。主な勝ち鞍は2000ギニーステークス(1925年)、ダービーステークス(1925年)。

欧字表記 Manna
性別
概要 マンナ, 欧字表記 ...
マンナ
欧字表記 Manna
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1922年
死没 1939年10月
Phalaris
Waffles
母の父 Buckwheat
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 James J. Maher
馬主 Henry E. Morriss
調教師 Fred Darling(イギリスの旗 イギリス
競走成績
生涯成績 8戦4勝
獲得賞金 £23,354
テンプレートを表示
閉じる

来歴

マンナは、アイルランドキルデア県にあるコンフェイスタッドで、ジェームズ・J・マーハーによって生産された鹿毛の馬であり、ブリーダーズ・レビュー誌は同馬を非の打ち所がない素晴らしい馬と評している[1]

1歳時にドンカスターのセリ市に上場された際、上海を拠点とする地金商ヘンリー・E・モリスの代理人を務めていたフレッド・ダーリング英語版調教師によって6300ギニーで落札された。なお、ダーリングはモリスから電報で「セリ市で最高の1歳馬を買うように」という指示を受けていた[2]

マンナはウィルトシャー州ベッカンプトン英語版にあるダーリングの厩舎で調教を受け[3]、活発で気性の激しい馬であることが判明した[4]

後にモリスは、同馬を天からの贈り物だと感じていたため、母ワッフルズが食べ物に由来することに因んで、聖書に登場する食物であるマナから名前を取ったと語っている[5]

競走馬時代

2歳(1924年)

重要な2歳戦として知られるサンダウン競馬場のナショナルブリーダーズプロデュースステークスでデビューすると、厩舎内での評判の高さもあり圧倒的な1番人気に支持され[6]、勝利は逃したがガーデンオブアラーの3着。

続く7月のグッドウッド競馬場でのリッチモンドステークスでは期待に応えて勝利。

更にケンプトンパーク競馬場英語版のインペリアルプロデュースステークスに出走すると、同年の最優秀2歳牡馬となるピカルーン英語版に次ぐ2着[7]

ミドルパークステークスでは、最後の1ハロンで先頭に立ったが終盤で他馬に交わされ、ピカルーンとソラリオに続く3着[8]

同年最後の出走となったニューマーケット競馬場のモールトンステークスでは、クロスボウを破って勝利。

3歳(1925年)

同年の春は異例の多雨であり馬場状態が悪化していたため、競走馬の調整は困難を極めた[4]。13頭立てで行われた2000ギニーステークスにおいてマンナは万全ではないと思われたため、スティーブ・ドノヒュー英語版を鞍上に単勝13.5倍でレースを迎えたが、スタートから先頭に立つとそのまま2着のセントビーカンに2馬身差付けて快勝[9]

次走はダービーステークスとなったが、父ファラリスがスプリンターであったため、重馬場の1.5マイル戦に絶えるスタミナがあるか疑問視されていた[4]。単勝オッズは9対1で、ニューマーケットステークス英語版を制したクロスボウが単勝5.5倍の1番人気に支持される一方、マンナは単勝10倍となった。国王及び王妃など王族を含む大観衆が見守る冷たい激しい雨の中で行われたレースでは[6]、序盤は先頭を行くダルマガリーを追走して中盤に先頭に立ち、直線で他馬を引き離して8馬身差で勝利した。なお、この着差は史上最大のもので、1981年にシャーガーが10馬身差で勝利するまで破られなかった。ダービーステークス6勝目を挙げたドノヒュー騎手の人気もあり、マンナの勝利は熱狂的に迎えられた。レース後、ドノヒューは、マンナが促すことなく先頭へ飛び出したことや、一度も鞭を使わなかったことを語った[5]

ロイヤルアスコット開催アスコットダービーにおいて、ダービーステークス4着のソラリオより10ポンド重い斤量を背負い[10]、僅差で3着に敗れた。これを受けてマンナとソラリオの比較が盛んにおこなわれ、ソラリオがダービーでマンナに敗れたのは単に調整不足が原因だったとする識者も現れた[11]

三冠達成の掛かったセントレジャーステークスでは、ソラリオと並ぶ単勝4.5倍の1番人気に支持され、1000ギニーステークスオークスステークスを制した無敗の牝馬ソーシースー英語版が直前で出走を取り消したことに加え[12]、レース前は素晴らしい状態に見えたことから期待された。序盤は先頭に立って力強い走りを見せたが、1マイルを過ぎて先頭を譲るとそのまま失速し[13]、ソラリオが勝利する一方で15頭立ての10着に終わった[14]デイリー・テレグラフはマンナが肉球に棘が刺さった疲れ切った老犬の如く足を引き摺っていたと報じている[1]。その後、右前脚に深刻な負傷を負っていることが判明した[13]

ジョン・ランドールとトニー・モリスは著書"A Century of Champions"の中で、マンナを平均的なダービー勝ち馬であり、20世紀のイギリスの競走馬の中で115番目に優れた馬であると評価した[15]

種牡馬時代

種牡馬入りに際しては馬主の意向でシンジケートが組まれ、当時の報道によれば種付け料は400ギニーであった[16]ニューマーケット近郊のチェヴァリーにあるバンステッドマナースタッドで供用され、種牡馬として一定以上の成功を収めた。

代表産駒としては2000ギニーステークス勝ち馬のコロンボ英語版や無敗馬のマンナミード英語版が挙げられる。その他の産駒としては、1932年の有力な2歳馬の一頭で、後にオーストラリアで種牡馬として成功したマニトバ英語版が挙げられる。

1939年10月に血管破裂により死亡し、バンステッドマナースタッドに埋葬された。同スタッドの厩務員用コテージは現在でも「マンナ・コテージ」として知られている[17]

血統表

さらに見る 父系, 母系 (F-No.) ...
マンナの血統(出典[§ 1]
父系 ファラリス系 [§ 2]
Phalaris
1913 黒鹿毛
父の父
Polymelus
1902 鹿毛
Cyllene Bona Vista
Arcadia
Maid Marian Hampton
Quiver
父の母
Bromus
1905 鹿毛
Sainfoin Springfield
Sanda
Cheery St. Simon
Sunrise
Waffles
1917 鹿毛
Buckwheat
1906 鹿毛
Martagon Bend Or
Tiger Lily
Sesame St. Simon
Maize
母の母
Lady Mischief
1903 黒鹿毛
St. Simon Galopin
St Angela
Vain Duchess Isinglass
Sweet Duchess
母系 (F-No.)   (FN: 22-d) [§ 3]
5代内の近親交配 St. Simon 4×4・3、Hampton 4×5、Bend Or 5×4、Isonomy 5×5、Springfield 4・5(父内)  [§ 4]
出典
閉じる
  • ファラリスは優秀なスプリンターであり、種牡馬としても20世紀の競馬に大きな影響力を発揮した。マンナはその3世代目[19]
  • 母ワッフルズは不出走だが、繁殖牝馬としてはマンナに加え、後にセントレジャーステークスの勝ち馬サンドイッチ英語版を輩出した。

脚注

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks