マーク=アーモンド
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| マーク=アーモンド | |
|---|---|
| 出身地 |
|
| ジャンル | ジャズ・ロック |
| 活動期間 |
1970年 - 1972年 1975年 - 1981年 1996年 |
| レーベル |
ブルー・サム・レコード コロムビア・レコード ABCレコード ホライゾン・レコード ホワイト・クラウド |
| 旧メンバー |
ジョン・マーク ジョニー・アーモンド |
マーク=アーモンド(Mark-Almond)は、イングランド出身のジョン・マークとジョニー・アーモンドの2人を中心としたジャズ・ロック・バンド。米国を拠点に活動し、後のAORの源流とも言える、ジャジーで洗練されたアコースティック・サウンド[1]が特徴。
1960年代、セッション・ギタリストとして活躍していたジョン・マークとサックス/フルート奏者であるジョニー・アーモンドは、1969年にブルースブレイカーズ解散後のジョン・メイオールのバンドで知り合い、2枚のスタジオ・アルバムに参加後、自分たちのバンドを結成する決意をする。米国のジャズ/ブルース系レーベルであるブルー・サム・レコードと契約し、ロジャー・サットン(ベース)とトミー・アイアー(キーボード)を加えて、1971年『マーク=アーモンド(Mark-Almond)』でデビュー。翌1972年のセカンドアルバム『マーク=アーモンドⅡ(Mark-Almond II)』からニューヨーク出身のベテランドラマーであるダニー・リッチモンドが加わるが、本作をもってサットンとアイアーがバンドから離脱する。
コロムビア・レコード移籍後、ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースに参加していたコリン・ギブソン(ベース)とケニー・クラドック(キーボード)、さらにアーモンドのソロプロジェクトである「ジョニー・アーモンド・ミュージック・マシーン」のレコーディングにも参加していたジェフ・コンドン(トランペット、フルート、キーボード)が迎えられ、6人編成でサードアルバム『復活(Rising)』(1972年)をリリース。
その後ギブソンとクラドックが抜け、マークとのデュオ「ジョン&アラン」や、マークも在籍していた「スウィート・サーズデイ」のメンバーだったアラン・デイヴィスを含めた7人編成となり『マーク=アーモンド・73(Mark-Almond 73)』(1973年)をリリース。このアルバムはライヴ・レコーディング3曲、スタジオ・レコーディング3曲から成り、ゲスト・ミュージシャンとしてニッキー・ホプキンスが参加している[2]。しかし1972年にマークがジョー・コッカーとのツアーで訪れていたハワイで木から落ちて左手薬指を失う事故に見舞われ、残りのツアーはキャンセルとなり、バンドは解散する[3]。
マークは1975年にソロ・アルバム『友に捧げる唄(Songs For A Friend)』で音楽活動を再開する。同年、アーモンドと再会しバンドの再編を決め、1976年に3年ぶりのアルバム『心に...(To The Heart)』をABCレコードからリリース[3]。本作からはマークとアーモンド2人のユニットとなり、レコーディングには元メンバーのトミー・アイアーや、ビリー・コブハムやジム・ゴードンといった名だたるドラマーがゲストに迎えられている[4]。
1978年、A&Mレコード傘下のホライゾン・レコードと新たな契約を結び、デビューアルバムに収録されていた「ザ・シティ(The City)」の新バージョンを含む『アザー・ピープルズ・ルーム(Other Peoples Rooms)』をリリース[3]。1980年初頭まで活動を継続した後に解散。1990年代半ばに再々結成され、マークが設立したホワイト・クラウド・レーベルからアルバム『Nightmusic』(1996年)を発表する。