マーサルジャワイヒ
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マーサルジャワイヒ(アラビア語: ماسرجويه, ラテン文字転写: Māsarjawayh, Messer Jawait)は、7世紀から9世紀ごろのイラクあるいはシリアの、おそらくはユダヤ教徒のペルシア人の医師[1][2]。8世紀終わりごろから9世紀初めごろに活動していたと推定される[3]一方で、ウマイヤ朝(661年-750年)の時代から医師としてその名が知られていたとも言われている[1][3]。アレクサンドリアの司祭アハルーン(アーロン)の医学書の翻訳に基づく著作『クンナーシュ』を著した[1][4][5]。『クンナーシュ』はアラビア語で書かれた医学書としては歴史上、初のものである[1][4][5]。
イブン・ナディームの al-Fihrist、イブン・ジュルジュルの Ṭabaqāt al-aṭibbāʾ wa'l-ḥukmāʾ、サーイド・アンダルスィーの Ṭabaqāt al-umam、キフティーの Ḥukmāʾ、イブン・アビー・ウサイビアの ʿUyūn al-anbāʾ、バルヘブラエウスの Taʾrīk͟h al-muk͟htaṣar al-duwal にマーサルジャワイヒの情報が記載されている[1][4]。
人物像
欧米の東洋学においては19世紀より、ルクレールやシュタインシュナイダー、ノイダなどによりマーサルジャワイヒの人物像を明らかにしようと研究がなされてきたが、実を結んでいない[1][5]。生歿年や生誕地も含めて、いまだによくわかっていない[1]。伝統的には、マーサルジャワイヒの出自はユダヤ教徒のペルシア人あるいはユダヤ系ペルシア人(Judaeo-Persian origin)とされており、バスラに住んでいたと言われている[1][2][5]。「シリアの人」を意味する suryānī というニスバを有するため、シリア出身かもしれないが、後述する医学書の翻訳がシリア語からなされたためそう呼ばれるという説明も可能である[1]。
「マーサルジャワイヒ Māsarjawayh」という名前の読みは、ماسرجويه というアラビア文字のつづりをアラビア語として読む際の慣用的な読みであり[1]、ペルシア語として読む場合は「マーサルジョーヤ」や[5]「マーサルゴーイェ Māsargōye」である[1]。文献によっては、ماسرجيس「マーサルジース Māsarjīs」と記載されている[1]。
19世紀のユダヤ教司祭ノイダは「マーサルジャワイヒ」とアラビア語化される以前の元の名前は Mesharsheya ではなかったかという説を唱えた[5]。しかし名前の末尾の「-ワイヒ -wayh」はペルシア系であることを示すため、ノイダの説は疑わしい[5]。また、「マーサルジース Māsarjīs」の方の名前は、キリスト教徒としては普通の名前である Mar Serjis に基づいたものと推測することは可能である[5]。しかしマーサルジャワイヒがユダヤ教からキリスト教に改宗したか否かは不明である[5]。
イブン・ナディームによるとマーサルジャワイヒにはイーサー ʿĪsā b. Māsarjīs という名前の息子がおり、やはり同様に医業を営んでいたという[1]。名前からキリスト教徒であったと考えられ、ユダヤ教からキリスト教に改宗したと推測される[1][3][5]。