マーティン・ドレスデン
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ブスム出身。祖父のセム・ドレスデンは作曲家で1945年から1949年までハーグ王立音楽院の院長を務めた。父親のアントン・ドレスデンは、バイオリ二スト、ピアニスト、指揮者[1]。
ドレスデンはバイオリンを習い始めたが、ロック・ミュージシャンの道に進み、ベーシストとして幾つかのバンドを経験した。やがてKatholieke Radio Omroep(KRO)に出演して演奏するようになり、1969年に、同じくKROに出演していたハンス・クルフェール(ドラムス)と、クルフェールが招いたタイス・ファン・レール(キーボード、フルート、ボーカル)の3人で「トリオ・タイス・ファン・レール」を結成した[1]。彼等はオランダの国民的な歌手であるラムゼス・シャフィのショーの伴奏を務めたほか、テレビやラジオのコマーシャル音楽を演奏して収入を得、やがて自分達のコンサートを開くようになった[2]。
ドレスデンはファン・レールにヤン・アッカーマンという優れたギタリストの事を教え、彼を勧誘して演奏に厚みを持たせてはどうかと提案した[3]。トリオ・タイス・ファン・レールはアッカーマンと幾つかの演奏活動で一緒になったあと彼を迎えて、4人編成の「フォーカス」になった。彼等は1969年の秋からライブ活動を行なったほか、オランダ人によるブロードウェイ・ミュージカル「ヘアー」のアムステルダム公演の伴奏を担当した[4]。
ドレスデンは、ラジオ・ルクセンブルクの支局であるRadio Télé Music Belgique-HollandeのプロデューサーであったHubert Terheggenに、父親のつてで連絡を取った。Terheggenはフォーカスに自分の制作会社と契約を結ばせて、1970年早々にロンドンのスタジオを手配した[5]。フォーカスはTerheggenのプロデュースによってデビュー・アルバムFocus Plays Focusを制作して、1970年9月にオランダで発表した。ドレスデンは数曲の収録曲をファン・レールと共作し、ベース・ギターとトランペットを担当した他、一曲のリード・ボーカルを担当した[6]。
フォーカスは続いてアッカーマン作の新曲'House Of The King'を録音した。しかし、アッカーマンはファン・レールとそりが合わずに、フォーカスを脱退しようとした。'House Of The King'のシングルを発表する予定だったレコード会社は、アッカーマンとファン・レールに一緒に活動を続けるように説得した。アッカーマンはフォーカスに留まる条件として、以前在籍していたブレインボックスのメンバーだったピエール・ファン・デル・リンデン(ドラムス)[注釈 1] と、かつてブレインボックスに迎えようとしたシリル・ハフェルマンス〈ベース・ギター、ボーカル)の二人をフォーカスに迎えることをあげた。そこでファン・レールはクルフェールとドレスデンと別れてアッカーマン達と合流して、1970年12月に新しいフォーカスを出発させた[7]。
フォーカスを去らざるを得なくなったドレスデンは、失意の内に表舞台から姿を消した[8]。