フォーカス (バンド)

オランダのプログレッシブ・ロックバンド From Wikipedia, the free encyclopedia

フォーカスFocus)は、1970年に結成したオランダ出身のプログレッシブ・ロック・バンド。「ショッキング・ブルー」などと並んで、国際的に成功したオランダのロック・バンドの最古参としても知られる。

1970年代にはタイス・ファン・レール[注釈 1]キーボードフルートボーカル)とヤン・アッカーマンギター)を中心メンバーとして活動した。1978年に解散したが、2002年にファン・レールが新しいメンバーを集め正式に活動を再開した。

略歴

1969年 - 1978年

若き日の創始者タイス・ファン・レール(Key, Fl, Vo) 1971年11月
1974年全盛期のグループ・ショット(左からヤン・アッカーマン、ベルト・ライテル、タイス・ファン・レール、コリン・アレン)
若き日のヤン・アッカーマン(G) 1974年2月

1969年、ファン・レールがハンス・クルフェール(ドラムス)、マーティン・ドレスデン(ベース)と「トリオ・タイス・ファン・レール」を結成[1]。数か月後、元ブレインボックスのアッカーマンが合流[2]して、同年秋に「フォーカス」が誕生した[3]

1970年9月、オランダでアルバムFocus Plays Focus[注釈 2]でデビュー。1971年1月にシングルとして発表したアッカーマン作の新曲「ハウス・オブ・ザ・キング英語版」がヨーロッパでヒット。アッカーマンの主張により、ドラマーをクルフェールからアッカーマンのブレインボックスでの同僚だったピエール・ファン・デル・リンデン [注釈 3][4]、ベーシストをドレスデンからシリル・ハフェルマンスに代えた[5]

1971年10月、イギリスのブルース・ロック・ミュージシャンの作品の制作に携わってきたマイク・ヴァーノン英語版をプロデューサーに迎えて[注釈 4]、2作目のアルバム『ムーヴィング・ウェイヴス[注釈 5]を発表。ファン・レールとアッカーマンの共作「悪魔の呪文 (Hocus Pocus)」は、ハードでキャッチーなギターのリフと、ヨーデルを用いたボーカルが合体した非常にインパクトの強い楽曲で、シングル・カットされて世界的なヒットを記録した。彼等は一躍人気バンドとなり、イギリスやアメリカでも注目されるようになる。9月、ハフェルマンスがソロ活動の為に脱退したので、後任にベルト・ライテルを迎えた。

1972年11月、3作目で2枚組のアルバム『フォーカスIII』を発表。ファン・レール作の「シルヴィア英語版」は、翌1973年には全英シングル・チャートで4位を記録する大ヒットとなった[6]。彼等はイギリスで絶大な人気を得て、この年の『メロディ・メイカー』誌の人気投票のギタリスト部門では、それまで10年連続でトップに選ばれたエリック・クラプトンに代わってアッカーマンが栄冠を手にした[7]

1973年3月から4月にかけて大規模なアメリカ・ツアーを行い、続いてロンドンのレインボウ・シアター英語版での5月4日と5日の2日連続の公演を皮切りにイギリス・ツアーを行った。10月には5月5日の演奏を収録した初のライブ・アルバム『フォーカス・アット・ザ・レインボー』を発表。ファン・デル・リンデンが脱退して、イギリス人のブルース・ロック・ミュージシャンのコリン・アレンがヴァーノンに推薦されて加入。1974年5月に4作目のスタジオ・アルバム『ハンバーガー・コンチェルト』を発表して、6月に初の日本公演[注釈 6]を行った。

イギリスでの高い人気で日本でも知名度が上昇し、アッカーマンは各音楽誌のギタリストの人気投票でクラプトン、リッチー・ブラックモアジミー・ペイジらと並んで上位にランクされる存在となった。1974年1975年の2年連続で来日し、イギリスやアメリカのロック以外のユーロ・ロックにも注目が集まる契機となる。

1975年2月にアレンが去り、アメリカ人のドラマーのデヴィッド・ケンパーが参加して5作目『マザー・フォーカス』を制作。同年6月に行なわれた2度目の日本公演[注釈 7]にはファン・デル・リンデンが参加した。1976年にアッカーマンが脱退し、後任にジャズ界で知名度のあったフィリップ・カテリーンが加入。ファン・レール、ライテル、ケンパー、カテリーンの顔ぶれでライブ活動を行った[注釈 8]1977年には、ファン・レール、ライテル、カテリーン、ギタリストのエーフ・アルベルツオランダ語版、ドラマーのスティーヴ・スミス[注釈 9]、ボーカリストのP. J. プロビー英語版[注釈 10] が参加してアルバム『新しき伝説英語版』を制作した。

1978年に解散。

1985年 - 1999年

1985年、ファン・レールとアッカーマンが「ヤン・アッカーマン & タイス・ファン・レール(Jan Akkerman & Thijs Van Leer)」名義でアルバム『青い旅路・フォーカス英語版』を発表するが商業的には失敗に終わった。

1990年、ファン・レール、アッカーマン、ファン・デル・リンデン、ライテルの顔ぶれで一時的に再結成。オランダのラジオ局Radio Veronicaの番組Oud Van Goudの為にアペルドールンのAmericahalで約40分間のライブ演奏を披露。この模様はテレビで放映された[8]

1993年にも「ヤン・アッカーマン & タイス・ファン・レール」の連名でライブ活動をしたものの、再結成に至らず。1997年には、ファン・レール、クルフェール、ライテルがギタリストのメンノ・ホーチェスと再結成を試みたが、1999年に失敗に終わる[9]

2002年 - 現在

2002年、ファン・レールはフォーカスのトリビュート・バンドのメンバーたちを招いてフォーカスを正式に再結成し、翌年に27年ぶりのアルバム『フォーカス8英語版』をリリース。

以降『フォーカス9 / ニュー・スキン英語版』(2006年)[10]、『X英語版』(2012年)[11]、『ゴールデン・オールディーズ英語版』(2014年)[12]などコンスタントに作品を発表し、メンバー交代を繰り返しながらも活発な活動を続けている。2004年にはファン・デル・リンデンが復帰し、2010年にはホーチェスが加入した。

メンバー

タイス・ファン・レール(Key/Vo/Flu) 2014年
ピエール・ファン・デル・リンデン(Ds) 2012年

現ラインナップ

旧メンバー

  • ハンス・クルフェール (Hans Cleuver) – ドラムス (1969年-1970年、1997年–1999年) ※2018年死
  • マーティン・ドレスデン (Martin Dresden) – ベース (1969年-1970年)
  • ヤン・アッカーマン (Jan Akkerman) – ギター (1969年-1976年、1985年、1990年)
  • シリル・ハフェルマンス (Cyril Havermans) – ベース (1970年-1971年)
  • ヤコブ・アッカーマン (Jacob Akkerman) – ドラムス (1971年)
  • ベルト・ライテル (Bert Ruiter) – ベース (1971年-1978年、1990年、1997年–1999年)※2022年死去[13]
  • コリン・アレン (Colin Allen) – ドラムス (1973年-1975年)
  • デヴィッド・ケンパー (David Kemper) – ドラムス (1975年-1977年)
  • フィリップ・カテリーン (Philip Catherine) – ギター (1976年-1978年)
  • エーフ・アルベルツオランダ語版 (Eef Albers) – ギター (1977年-1978年)
  • P. J. プロビー英語版 (P. J. Proby) – ボーカル (1977年-1978年)
  • スティーヴ・スミス (Steve Smith) – ドラムス (1977年-1978年)
  • タト・ゴメス (Tato Gómez) – ベース (1985年)
  • マリオ・アルガンドーナ (Mario Argandoña) – ドラムス (1985年)
  • ボビー・ヤコブス英語版 (Bobby Jacobs) – ベース (2002年-2016年)
  • ヤン・ドゥメー英語版 (Jan Dumée) – ギター (2002年-2006年)
  • ルベン・ファン・ローン (Ruben van Roon) – ドラムス (2002年)
  • ベルト・スマーク (Bert Smaak) – ドラムス (2002年-2004年)
  • ニールス・ファン・デル・ステーンホフェン (Niels van der Steenhoven) – ギター (2006年-2011年)

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

  • フォーカス・アット・ザ・レインボー』 – Focus at the Rainbow (1973年)
  • ライヴ・アット・ザ・BBC英語版』 – Live at the BBC (2004年)
  • 『ライヴ・イン・ヨーロッパ』 – Live In Europe (2012年)
  • 『ライヴ・イン・イングランド』 – Live In England (2016年)
  • 『ライヴ・アンソロジー』 – Live Anthology (2017年)
  • Focus 50: Live in Rio (2021年)

コンピレーション・アルバム

日本公演

出典[14]

1974年

  • 6月30日 東京・東京厚生年金会館
  • 7月1日 東京・東京厚生年金会館
  • 7月2日 大阪・大阪厚生年金会館
  • 7月3日 名古屋・名古屋市公会堂

1975年

  • 6月14日 東京・サンプラザホール
  • 6月15日 東京・サンプラザホール
  • 6月16日 名古屋・名古屋市公会堂
  • 6月19日 大阪・大阪厚生年金会館
  • 6月20日 京都・京都会館
  • 6月22日(昼) 東京・サンプラザホール
  • 6月22日(夜) 東京・サンプラザホール

2003年

  • 4月10日 川崎・CLUB CITTA'川崎
  • 4月11日 川崎・CLUB CITTA'川崎
  • 4月12日 川崎・CLUB CITTA'川崎

2019年

  • 4月22日 川崎・CLUB CITTA'川崎
  • 4月23日 川崎・CLUB CITTA'川崎

脚注

外部リンク

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