ミロスラヴ・ライチャーク
スロバキアの政治家、外交官
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ミロスラヴ・ライチャーク(スロバキア語: Miroslav Lajčák、1963年3月20日 - )は、スロバキアの政治家、外交官。副首相、外相、EU特別代表(西バルカン地域問題担当)、首相顧問を歴任。スロバキア語では、語末の有声子音は無声化するので氏名は正しくは「ミロスラフ・ライチャーク」である。
| ミロスラヴ・ライチャーク | |
|---|---|
| スロバキアの外相 | |
| 任期 2012年4月4日 – 2020年3月20日 | |
| 首相 | ロベルト・フィツォ |
| 前任者 | ミクラーシュ・ズリンダ |
| 後任者 | イヴァン・コルチョク |
| 任期 2009年1月26日 – 2010年7月8日 | |
| 首相 | ロベルト・フィツォ |
| 前任者 | ヤーン・クビシュ |
| 後任者 | ミクラーシュ・ズリンダ |
| ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表 | |
| 任期 2007年6月30日 – 2009年3月26日 | |
| 前任者 | クリスチャン・シュヴァルツ=シリング |
| 後任者 | ヴァレンティン・インツコ |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1963年3月20日(63歳) チェコスロバキア(現在のスロバキア)、ポプラト |
| 政党 | チェコスロバキア共産党 (1992年まで) 方向・社会民主主義 (1994年 - ) |
| 配偶者 | ヤルミラ・ハルガショヴァー |
| 出身校 | コメンスキー大学 モスクワ国際関係大学 |
| 宗教 | ローマ・カトリック |
経歴

ブラチスラバのコメンスキー大学で法学を修めた。モスクワ国際関係大学で、国際関係論の修士号を取得している。ドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェンにあるジョージ・C・マーシャル欧州安全保障研究センターの卒業生でもある[1]。
チェコスロバキアの共産主義体制が崩壊するまで、ライチャークは共産党員であった。1988年にチェコスロバキア外務省に入省し、1991年から1993年まで在ロシアチェコスロバキア(のちスロバキア)大使館職員、1993年から1994年まで当時のヨゼフ・モラヴチーク外相(のち首相)の官房長、1994年から1998年まで駐日本大使、2001年から2005年まで在ユーゴスラビア連邦共和国(のちセルビア・モンテネグロ)大使(アルバニア、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国兼轄)を務めた。2006年にモンテネグロで独立の是非を問う国民投票が行われた際には、欧州連合 (EU) の選挙監視員となった[2]。
2007年6月30日にはクリスチャン・シュヴァルツ=シリングの後任として、ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表兼EUボスニア・ヘルツェゴビナ特別代表に就任し[3]、2009年まで在職した。
2009年1月26日、ライチャークは第一次フィツォ内閣に外相として入閣し[4]、2010年7月まで在職した。
2010年12月にはEUの欧州対外行動局のロシア・東方近隣・西バルカン局長に任命され[5]、2012年4月まで在職した。
2012年4月には無所属ながら、第二次フィツォ内閣の外相兼副首相に指名された[6]。ライチャークは、任期満了を迎える潘基文国連事務総長の後任をうかがう潜在的な候補者とみられていたが[7]、2016年5月27日に正式に次期国連事務総長への立候補を表明した。しかし、10月13日に国連総会は、次期総長にポルトガルのアントニオ・グテーレスを任命した[8]。
2017年5月31日、国連総会において9月から始まる第72会期の総会議長に満場一致で選出された[9]。
2018年11月29日、議会で国連による移民協定への参加が否決されたことを理由に外相辞任をいったんは表明した[10]が、12月7日に撤回した[11]。2020年3月20日に外相を退任[12]。同年4月3日、セルビア=コソボ対話、およびその他西バルカン地域問題を担当するEU特別代表に就任[13]。
2022年11月3日、日本国の秋の叙勲において、旭日大綬章を受章した[14][15]。
フィツォ政権では首相顧問を務めていたが、性犯罪で告訴された大富豪のジェフリー・エプスタイン元被告に関する文書が2026年1月30日にアメリカ合衆国司法省によって公開され、その中にライチャークの名前が登場したほか、エプスタインがライチャークに対して女性をあてがったほか、ライチャークがエプスタインに対し、アメリカ合衆国の政治戦略家スティーブン・バノンにフィツォと会談させるよう提案したとされている。ライチャークはこれらの疑惑を否定したが、野党からの辞任要求が噴出し、1月31日に辞任した[16]。