ムアン=サルトゥー
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| Mouans-Sartoux | |
|---|---|
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| 行政 | |
| 国 |
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| 地域圏 (Région) |
プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 |
| 県 (département) |
アルプ=マリティーム県 |
| 郡 (arrondissement) | グラース郡 |
| 小郡 (canton) | グラース2小郡 |
| INSEEコード | 06084 |
| 郵便番号 | 06370 |
| 市長(任期) |
ピエール・アスキエリ (2014年 - 2020年) |
| 自治体間連合 (fr) | fr:Pôle Azur Provence |
| 人口動態 | |
| 人口 |
10 214人 (2012年) |
| 人口密度 | 755人/km2 |
| 住民の呼称 | Mouansois |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯43度37分12秒 東経6度58分19秒 / 北緯43.62度 東経6.97194度座標: 北緯43度37分12秒 東経6度58分19秒 / 北緯43.62度 東経6.97194度 |
| 標高 |
平均:m 最低:40 m 最高:321 m |
| 面積 | 13.52km2 |
| 公式サイト | mouans-sartoux.net |
ムアン=サルトゥー (Mouans-Sartoux、プロヴァンス語:Moans-Sartós)は、フランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏、アルプ=マリティーム県のコミューン。1858年3月28日に出されたナポレオン3世のデクレによって、サルトゥーとムアンが合併して現在の名称となった。
歴史
ムアンとサルトゥーは2つの異なる人口密集地からなる。ムアンは平野、一方サルトゥーはカステヤラスの丘にある。
1199年、シトー会のノートルダム・デ・プレ修道院がサルトゥーに建設された[1]。元々は、ムアンとサルトゥーは異なるコミューンであった。1350年以降、この地方の他の村々と同様、ムアンとサルトゥーは放棄されてしまった。社会不安や黒死病流行のためである。
15世紀、公証人エティエンヌ・ジュスベールがサルトゥーの共同封建領主となった[2]。1496年、ムアン領主ピエール・ド・グラースは、自らの領地に再度殖民すべく、ジェノヴァ地方のフィゴンの家族60世帯を連れてきて、彼らに住宅証書を渡した。村が建設されたのはこのときである。
ムアン=サルトゥーというコミューンが正式に誕生したのは1858年春である。
アルジェリア独立戦争末期には、アルキの家族を住まわせるため、コミューンに1962年から集落が建設された。この集落は時にティムガッド収容所(le camp de Timgad)と呼ばれた。ここには1980年代初めまで人が住んでいた[3]。