ムファッワド

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在位 875年 - 892年4月30日(カリフ位継承権者として)
全名 ジャアファル・ブン・アフマド・アル=ムウタミド・アル=ムファッワド・イラッラーフ
出生 不明
死去 不明
ムファッワド
المفوض إلى الله
アッバース朝のカリフ位継承権者
ヒジュラ暦276年(西暦889/90年)にエジプトで鋳造されたトゥールーン朝フマーラワイフ英語版ディーナール金貨。金貨にはカリフムウタミドの名とともにムファッワドの名が刻まれている。
在位 875年 - 892年4月30日(カリフ位継承権者として)

全名 ジャアファル・ブン・アフマド・アル=ムウタミド・アル=ムファッワド・イラッラーフ
出生 不明
死去 不明
家名 アッバース朝
父親 ムウタミド
宗教 イスラーム教
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ジャアファル・ブン・アフマド・アル=ムウタミドアラビア語: جعفر بن أحمد المعتمد, ラテン文字転写: Jaʿfar b. Aḥmad al-Muʿtamid)、または尊称(ラカブ)でアル=ムファッワド・イラッラーフアラビア語: المفوض إلى الله, ラテン文字転写: al-Mufawwaḍ ilaʾllāh,「神に託された者」の意)は、アッバース朝カリフムウタミド(在位:870年 - 892年)の息子であり、875年にムウタミドによって後継者に指名されて以降、892年に従兄弟のムウタディドによってカリフ位の継承権を剥奪されるまでの間、ムウタミドの後継者の立場にあった人物である。

ジャアファルは872年にタバリーの歴史書において初めて言及が見られる[1]。875年7月20日にカリフのムウタミドは国家の統治者と自身の後継者としての立場をジャアファルに対して公に用意した。ジャアファルはアル=ムファッワド・イラッラーフの尊称を授けられるとともに後継者に指名され、アッバース朝の西半分の領域を統治区域として与えられた。一方でムウタミドの兄弟であるアブー・アフマド(通常はムワッファク英語版の尊称で知られる)は東部諸州を統治区域として与えられ、ムファッワドが未成年のうちにカリフが死去した場合を例外とする条件でムファッワドに次ぐ第2位の後継者に指名された。その結果、ムファッワドは名目上イフリーキヤエジプトシリアモースルを含むジャズィーラアルメニアミフラジャーンカザク英語版、およびフルワーン英語版の統治の責任を負うことになり、ムーサー・ブン・ブガー英語版がムファッワドの補佐役を担うことになった[2][3]。しかしながら、アッバース朝において実際に権力を握っていたのはムワッファクであり、この権限の分割はほとんど名目上の話に過ぎなかったとみられている。歴史家のヒュー・ナイジェル・ケネディ英語版は、「ムファッワドが実際に権力を行使していたようには見えない」と述べている[3]

876年3月にムウタミドが首都のサーマッラー英語版を離れ、軍を率いて南下した後にダイル・アル=アークールの戦い英語版サッファール朝軍と戦ったが、この間ムファッワドはサーマッラーに留まり、ムハンマド・アル=ムワッラドの補佐を受けつつ首都の監督にあたった[4]。882年から883年の間にムワッファクと当時のエジプト総督で現地に強力な自治政権を築いていたアフマド・ブン・トゥールーンが不和となり、両者の間で公然とした対立が起きた際にムファッワドは名目上の臣下であるアフマドを公に非難し、その官職を剥奪せざるを得なくなった。そしてアフマドが所持していた官職はモースル総督のイスハーク・ブン・クンダージュ英語版の手に移った[3][5]。しかしながら、最終的にアフマドはアッバース朝の圧力を退けてエジプトの支配を維持し、アフマドの後継者である息子のフマーラワイフ英語版も同様に統治権を維持した[6]

ムワッファクが死の床にあった891年4月に政府の有力者内でムワッファクの息子のアブル=アッバースによる摂政の地位の継承を阻止しようとする動きが見られた。当時ムワッファクは理由はよく分かっていないものの息子を投獄しており、バグダードの総督はアブル=アッバースの釈放を阻止しようと画策した。そしてカリフとムファッワドを密かにバグダードの市内に呼び寄せ、差し迫っていたムワッファクの死に乗じて権力を掌握しようとした。しかしながら、アブル=アッバースが民衆と軍の双方から支持を受けていたため、この企ては失敗に終わった。アブル=アッバースは軍によって解放され、バグダードの総督の屋敷は暴徒によって略奪された。そしてムワッファクの死から2日後の6月4日にムファッワドとムファッワドに次ぐ第2位の後継者として新たにアル=ムウタディド・ビッラーフの尊称を名乗ったアブル=アッバースの両者に対する忠誠の誓い(バイア英語版)が行われた[3][7]。その後、892年4月30日にはついにムファッワドが後継者の地位から完全に排除され[8]、同年10月にムウタミドが死去するとムウタディドが新たなカリフとなった[3]

系図

脚注

参考文献

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