ムファンガノ島

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座標 南緯0度27分39秒 東経34度00分43秒 / 南緯0.46083度 東経34.01194度 / -0.46083; 34.01194座標: 南緯0度27分39秒 東経34度00分43秒 / 南緯0.46083度 東経34.01194度 / -0.46083; 34.01194
面積 65 km2 (25 sq mi)
最高標高 1,694 m (5558 ft)
ムファンガノ島
現地名:
Mfangano
ムファンガノ島の衛星画像
ムファンガノ島の位置(ケニア内)
ムファンガノ島
ムファンガノ島
ムファンガノ島の位置(アフリカ内)
ムファンガノ島
ムファンガノ島
地理
座標 南緯0度27分39秒 東経34度00分43秒 / 南緯0.46083度 東経34.01194度 / -0.46083; 34.01194座標: 南緯0度27分39秒 東経34度00分43秒 / 南緯0.46083度 東経34.01194度 / -0.46083; 34.01194
隣接水域 ヴィクトリア湖
面積 65 km2 (25 sq mi)
最高標高 1,694 m (5558 ft)
最高峰 クィトゥトゥ山
行政
カウンティ ホマ・ベイ
人口統計
人口 16,282(1999年時点)
言語 英語スワヒリ語ルオ語スバ語
民族 ルオ人スバ人
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ムファンガノ島(ムファンガノとう、Mfangano)は、アフリカ最大の湖・ヴィクトリア湖に浮かぶケニア共和国の島。面積65km2で、同国内では最大の湖上島である。行政上は東隣のルシンガ島英語版などとともにホマ・ベイ(ホマ湾)カウンティに属する。2015年現在の推定人口は約21,000人。先史時代に遡る岩壁画英語版の存在が知られている。

ヴィクトリア湖の湖上国境(赤線)。右上の境界線東側に接する大きな島がムファンガノ島。

地勢

ケニア・ヴィクトリア湖周辺の火山地形(右が北)。右上がムファンガノ島。

ヴィクトリア湖の北東部、ケニアの湖上国境付近に位置し、内湾であるウィナム湾英語版の湾口に位置している。赤道から南方約50kmの距離にあり、島内を東経34度線が通過する。面積は日本の八丈島とほぼ同等である。

ムファンガノ島は湖の東岸から続く火山群の山塊の一部である。岩山が湖面から300メートルを超えて屹立し、数ヶ所で赤土の断崖が露出している。沿岸には黒い岩が連なるとともに、張り出したイチジクの木や黒い火山土の砂浜、葦の小群生地がある。島民は狭い湖岸沿い、もしくは山の急斜面に暮らしている。道は狭隘で島の急斜面に曲がりくねって延びている[1]

地勢は岩がちで表土が浅いが、オリーブとそれに類する木々の乾燥した灌木が高地の斜面にも自生する。南東側は乾燥した気候で、植物は低木で棘をもつものが多く、アカシアや外来のランタナおよびその類縁種であるヒメイワダレソウ(学名: Phyla canescens)などがみられる[2]。北西部は雨がやや多く、森林の植生はより豊かである[1]。岩肌には多肉性のアロエユーフォルビアなどがパッチを作り、灌木としてチュウテンカクEuphorbia ingens)、オリーブの亜種である Olea europaea subsp. cuspidata などが自生する[3]

ケニア国内のヴィクトリア湖沿岸の他の地域と同様、島ではコサギカワウハタオリドリハジロハクセキレイ(学名: Motacilla aguimp)・カンムリカワセミヒメヤマセミなどの鳥が人間と共存する。イチジクの木々の間にはサンショクウミワシシュモクドリアフリカクロトキハダダトキなどが、岩肌にはイワツバメなどが生息する。内陸部ではトビを除いて鳥類を見ることは困難である[3]

ヴィクトリア湖には半世紀前に食用・競技用のナイルパーチが持ち込まれたことで、魚の固有種はほぼ絶滅した。アフリカ最大のトカゲであるナイルオオトカゲも島の沿岸で見かけることがある[3]

社会

島には何世紀も前に中央アフリカから到来したとされるバントゥー系スバ人英語版が暮らしており、ルシンガ島やニャンザ州にかけての本土沿岸部とともにスバ人の中心的な居住地をなす。1990年代にはスバ人政治家の働きかけにより、沿岸島嶼も含めたスバ行政区(Suba District)がつくられ、本土のムビタに行政機関が置かれた[4]。ただし、現地の地域共通語であるルオ語バントゥー諸語とは別系統のナイル諸語にあたる)を話すルオ人との同化と民族間結婚が進んだ結果、スバ文化は抑圧され、スバ語英語版ユネスコ危機に瀕する言語に登録されている[5]。島の孤立性と聖書翻訳協会による識字教育の甲斐あって、2000年現在、ムファンガノ島はスバ語が日常言語としての地位を保っている唯一の島である[4]

島内は面積をほぼ等しくする4つの行政区画に分かれている[6]。数十年の間に急速に人口を伸ばしており、1979年には6,879人であったものが、1999年には16,282人に拡大している[7]。2015年現在の人口は21,000人と推定される[6]

島へは水路と空路の両方で到達できる。空路の場合、ナイロビキスムマサイマラからの直行のチャーター便がある。対岸のムビタからは定期船が往復しており、ムビタもしくはシンドでボートを借りることもできる[8]

歴史

スバ語を話す人々がいつから住んでいるかは不明だが、W・R・オチエンによれば、その起源は次のようにまとめられる。まず、紀元3世紀ごろからバントゥー諸民族の小さな移住の波があり、その後15世紀ごろから18世紀末にかけて、スーダン方面から内陸部へルオ人がゆっくりと南下した。並行して、南のタンザニア方面からはバントゥー系の小集団が移り住み、スバ文化の基礎を築いた。18世紀に、北西のウガンダから覇権争いを逃れたバントゥーの一派がムファンガノ島や沿岸部に定着し、彼らが南方からやってきた人々と混成することで今日のスバ人が形成されたと考えられる。しかし、スバという民族意識がいつ頃生じたのかは定かでない[4]

スバ人の間では島はIvanganoという名で呼ばれる。これはスバ語で「和解」を意味し、17世紀に和解の儀によって島内の抗争が解決したことから名づけられた。以来スバ人は、平和に暮らし、社会の内外で平和を維持する手段として和解と赦免を貴ぶ気風を受け継ぐことを約束した[1]

文化・経済

島民はもっぱら農業と漁業に従事し、トウモロコシ・キビ・キャッサバ・豆・果物を育て、牛・山羊・羊・鴨・鶏を飼育する。多くの家は黄色い花をつけるキョウチクトウ科キバナキョウチクトウ(学名: Cascabela thevetia; シノニム: Thevetia peruviana)の生け垣に囲まれている。また、休閑地にはアサガオが自生する[1]

島民の間ではナイルパーチやダガーRastrineobola argentea; ルオ語: omena[9] オメナ)の漁が行われている。スバの人々は移動性が高く、ビクトリア湖全域にわたって漁や交易を行う。水産物は、地域で消費されるかケニアの消費地やヨーロッパに運ばれる[5]

低開発地域でインフラの整備は進んでおらず、島内に舗装道路は存在しない。最初の発電設備であるディーゼル発電機が導入されたのは2008年のことであった[10]。1950年代のナイルパーチの導入後、産業の漁業化と市場経済化が急速に進んだ結果、食料摂取量の低下などの弊害も出ている。また島を含むホマ・ベイ地域は、婚姻慣習の影響もあって国内で最もHIV感染率が高く、ムファンガノ島の成人の約27%が罹患者である[6]とともに、マラリアへの感染率の高い地域でもある[11][12]。日本国内でもNPOやTABLE FOR TWOによる支援が行われている。

島内には、スバ社会の文化・自然の保護を目的につくられたケニア初のコミュニティ博物館であるスバ民族コミュニティ平和博物館がある。博物館は2009年に設立され、ケニア国立博物館などとの協力で岩壁画の保護管理などに努めている[13]。観光プロジェクトの立ち上げ以来、岩壁画目当てに数千人の来訪者があり、その利益を基に小学校も建設されている[8]

岩壁画

参考文献

関連項目

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