巫俗
「クッ(굿)」といわれる祭礼・儀式を中心とした朝鮮半島の民間信仰
From Wikipedia, the free encyclopedia
信仰形態
歌や舞、供物によって祭神に祈りを捧げる「クッ(굿)」といわれる儀式が中心である。巫俗に関わる者を「ムソギン(巫俗人、무속인)」というが[1]、儀式を執り行う者は「ムーダン(巫堂、무당)」と呼ばれる[2][3]。
「クッ」の祭神は、山神、土地神、祖先神、屋敷神などと多岐にわたり、各神に合わせた歌や舞が存在する[2][4]。クッで願うものとして、家業の繁栄や豊穣を願う吉事クッ・財数クッ、病気の治癒や安産を願う祈願クッ・憂患クッ、死者の霊を慰める死霊クッがある[5][6]。
ムーダンの出自は、神霊との対話や降神などの神秘的な体験を経た降神巫と世襲巫に大別され、役割や社会的地位も異なる[5][6]。降神巫が神託を告げる霊媒者的な役割が強いのに対し、世襲巫は司祭者的な役割が強い[5][6]。朝鮮半島南部では世襲制のムーダンを有していた村落があり、全羅南道には日本の檀家制度に似た信徒を持つタンゴルといわれる家系が存在した[2][7]。また、視覚障害者の生計手段としても機能していた[2]。
クッで用いられる祭具は時代・地域にとって異なりがあるが、音色によって悪霊を祓うとする鈴、善神を迎えるものとして扇の役割が大きいことは共通する[2][8]。このほか、龍王や日月聖神を描いた巫図、三つ又の穂先を持つ槍、鏡などが用いられる[8]。
ムーダンにはクッの司祭者としての役割の他にも、民間療法の施術者、神話などの口承文学の伝承者といった顔も持つ[5]。現代の大韓民国においては、占い師としてのイメージが強く、ソウルなどの都市部には占い店を構えるムーダンがいる[9]。2010年代において韓国全土で数十万人規模でムーダンが存在すると推測されており、規模の大きいムーダン団体として、公称会員数30万人の大韓敬信連合会、同11万人の韓国民俗芸術研究院がある[9]。
歴史
『魏志東夷伝』にも古代朝鮮の諸国家の祭礼が記されており、新羅の王は巫俗の権威も兼ねるなど、国家宗教的な位置を占めていた[2][10]。高麗時代以降は朝鮮半島内で儒教の影響が強くなり、李氏朝鮮期には儒教が国教とされたが、巫俗も庶民層の信仰として残り続ける[2][10]。また、天文・暦の分野ではムーダンの任用も残った[9]。
李氏朝鮮の末期からは国家の近代化に向けた社会運動として巫俗の廃絶を目指す迷信打破運動が始まる[11][10]。同運動は、1910年の日韓併合後も引き継がれたが、生活習俗・民俗行事と一体化していたこともあり、祭礼・儀式そのものではなく、ムーダンによる民間療法や占い行為の取締りに留まった[10]。また、同時期には、朝鮮総督府や取締りを行う警察当局との折衝のため、ムーダンの組織化・団体結成が進んでいく[10]。
1948年の大韓民国樹立後も迷信打破運動は続いたが、1970年代以降は、朝鮮半島の基層文化として巫俗を捉え、クッで唄われる巫歌や演じられる仮面劇(タルチュム)などを朝鮮文学・民俗学の研究対象とする動きも高まっていく[12][13]。一方で、ムーダンは聖職者であると同時に賤民が就く仕事とも扱われてきたことから、ムーダンのコミュニティや信者との関係についての研究は行われにくい傾向が続いている[9]。