河回別神グッタルノリ
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朝鮮半島南東部の慶尚北道では、20世紀初頭まで土地神の一種である城隍神に豊穣・豊漁を願う別神クッ(ビョルシンクッ)といわれる巫俗の祭祀が各地で行われていた[1]。
河回村には、高麗時代に同地を治めていた許氏によって祭祀内のタルノリで用いられる仮面が制作されたとの伝承が残っており、5年から10年程度の周期で別神クッが行われていた[1][2]。しかし、李氏朝鮮末期から日本統治時代の迷信打破運動によって巫俗に由来する行事の多くが断絶する中で、河回村でも1928年を最後に純粋な祭祀としての別神クッの実施は途絶えてしまう[1][3]。1930年代からは朝鮮総督府に許容されていた庶民の娯楽・民俗芸能として、祭祀から切り離されたタルノリのみが行われていく[3]。
大韓民国の樹立後、1928年の別神クッ参加者の調査が始まり、同国樹立10周年を記念して1958年に開催された全国民俗芸術競演大会で祭祀から切り離される以前のタルノリを復元したものが演じられる[4]。以降も演出細部の復元が進められていき、1980年に河回別神グッタルノリとして大韓民国の重要無形文化財に指定された[5]。
特徴
河回村の庶民の祭祀として行われてきたものであり、土地神に村の繁栄や村民の無病息災を願うほか、同村を治めていた両班に対する不満を解消するという側面もあった[6]。1950年代から1970年代の復元調査によって結果的に台本が整理されたが、実際には即興性が強いタルノリであり、細部の演出や劇中のセリフも流動的だったと考えられている[7]。タルノリ内では両班を揶揄する場面があるが、1928年の別神クッでは同村の両班である柳氏が劇中の両班役を演じ、この場でソンビ役の村民が何を口にしたとしても非を問われないという取り決めがあった[6]。
また、他地域の同種の祭祀ではタルノリに用いた仮面を祭祀後に焚き上げる風習があるが、河回村では仮面そのものも信仰の対象とされたため、別神クッが開かれない間は村内の城隍堂で祀られていた[2][8]。10種11個のハンノキ製の仮面が受け継がれており、1964年に河回仮面として国宝に指定されている[2]。他地域の仮面が紙製・ひさご製が主であるのに対し、河回村のものはハンノキ製で顎の部分が可動する「切り顎」といわれる構造を持つ[9]。仮面の表情造形も巧みで高麗時代の朝鮮半島を代表する彫刻作品と評価されている[9]。