Wikiwand AI

メイミー・スミス

アメリカ合衆国のブルース歌手 (1891-1946) From Wikipedia, the free encyclopedia

メイミー・スミス(Mamie Smith、1891年5月26日[1] - 1946年8月16日あるいは9月16日)はアメリカ合衆国の歌手である。ヴォードヴィルの歌手として、彼女はジャズとブルースを含む複数のスタイルで歌った。1920年に彼女はアフリカ系アメリカ人のアーティストとしては初めてヴォーカルのブルース・レコーディングを行なったことでブルースの歴史に名を刻むこととなった。ピアニストのウィリー・"ザ・ライオン"・スミス(血縁関係はない)はこのレコーディングについて自伝「Music On My Mind」(1964年)の中で説明している。

原語名 Mamie Smith
出生名 Mamie Robinson
概要 メイミー・スミス, 基本情報 ...
メイミー・スミス
基本情報
原語名 Mamie Smith
出生名 Mamie Robinson
生誕
死没
ジャンル
職業 歌手
レーベル
閉じる

来歴

幼少期から青年期

彼女はメイミー・ロビンソンとして1891年5月26日、オハイオ州シンシナティに生まれた。以前彼女の生年については1883年とされていたが[2][3]、2018年になって研究者のジョン・ジェレマイア・サリヴァンが彼女の出生証明書を発見。そこには彼女が1891年にシンシナティで生まれたことが記されていた[1]。

10歳くらいの頃、彼女は白人のパフォーマーであったフォー・ダンシング・ミッチェルズとツアーに出た[4]。その後まだ10代の頃に彼女はセイラム・タット・ウィットニーの「スマート・セット」でダンスをするようになった[3]。1913年にはそこから抜けて、ハーレムで歌手として活動。歌手のウィリアム・"スミッティ"・スミスと結婚した[4]。

音楽のキャリア

アフリカ系アメリカ人のソングライターでバンドリーダーのペリー・ブラッドフォードがA&R担当だった白人のフレッド・ヘイガーに黒人音楽のレコーディングの人種の壁を崩すことを進言したことにより[5]、1920年2月14日、スミスはニューヨークのオーケー・レコードに「That Thing Called Love」と「You Can't Keep A Good Man Down」の2曲をレコーディングした[6]。オーケー・レコードは黒人ミュージシャンによる多くの歴史的な楽曲をレコーディングしている。これらの楽曲は初の黒人ブルース歌手によるレコーディングであったが、バックを務めたミュージシャンは全員白人であった。ヘイガーは、北部および南部の圧力団体より、彼がもし黒人歌手のレコーディングを続けるようならばボイコットも辞さないと脅迫を受けるようになった[5]。このような状況にもかかわらず、レコードはよく売れ、より多くの黒人ミュージシャンのレコーディングに道を開くきっかけとなった[7]。

スミスの最大のヒットは、ブラッドフォードが書き1920年8月10日にこれもオーケーのためにレコーディングした「Crazy Blues」とそのB面「It's Right Here For You (If You Don't Get It, 'Tain't No Fault Of Mine)」の2曲であった[8][9][10]。このレコードはリリース後1年を待たずして100万枚以上を売り上げている[11]。購入者の多くがアフリカ系アメリカ人であり、このヒットによりいわゆる「人種レコード (race records)」の売上が急増する結果となった[12]。その歴史的重要性から、「Crazy Blues」は1994年、グラミーの殿堂に入れられ[13]、2005年には米国議会図書館の全米録音資料登録簿で保存される対象として選定された[14]。

1890年代のジョージ・W・ジョンソンなど、これ以前にレコーディングをしたアフリカ系アメリカ人は存在したものの、彼らが演奏していたのは、ヨーロッパ系アメリカ人の聴衆向けの音楽であった。スミスのレコードの成功によって、レコード会社は他の女性ブルース歌手のレコーディングを模索するようになり、後に古典的女性ブルース(classic female blues)として知られるようになる音楽の時代の幕開けとなった[10]。

ニューヨーク・クリッパー紙に掲載されたスミスの肖像 (1921年)

スミスは1920年代を通じてオーケーにレコーディングを続けた。1924年から翌25年にかけて、彼女はエイジャックス・レコードから3枚のSPレコードをリリースした。これらは手厚い広告宣伝が打たれたものの、売れ行きは芳しくなかった[15]。続いて彼女はビクターにもレコーディングを行なった。彼女は「メイミー・スミスのストラッティン・アロング・リヴュー」の一環として、彼女のバンド、ジャズ・ハウンズとともに米国とヨーロッパをツアーした[16]。

彼女は「ブルースの女王(Queen Of The Blues)」と宣伝されたが、続くようにベッシー・スミスがそれを更に上回る「ブルースの女帝(Empress Of The Blues)」との触れ込みで知られるようになった。特に白人層がリスナーの大部分を占める都市では、ラジオというマスメディアが新たなファンを獲得する手段となることをメイミーは知ることとなった。例えば、彼女と彼女のバンドのメンバーの何名かは、1923 年 5 月初旬にオレゴン州ポートランドの ラジオ局KGW で演奏し、好評を博している[17]。

1920年8月から1921年10月の間のジャズ・ハウンズのレコーディング・メンバーは、ジェイク・グリーン、カーティス・モズリー、ガーヴィン・ブッシェル、ジョニー・ダン、ドープ・アンドリューズ、アーネスト・エリオット、ポーター・グレインジャー、リロイ・パーカー、ボブ・フラーという面々で構成され、また1922年6月から1923年1月までは、コールマン・ホーキンズ、エヴァレット・ロビンズ、ジョニー・ダン、ハーシェル・ブラスフィールド、ハーブ・フレミング、バスター・ベイリー、キューティー・パーキンズ、ジョー・スミス、ババー・マイリー、セシル・カーペンターといった面々であった[18]。

ジャズ・ハウンズとのレコーディングと並行し、彼女はメイミー・スミス・アンド・ハー・ジャズ・バンド名義でもレコーディングを行なった。そのメンバーはジョージ・ベル、チャールズ・マトソン、ネイサン・グランツ、ラリー・ブリアーズ、ジュールズ・レヴィ、ジョー・サミュエルズといった面々で、ホーキンズ、フラー、カーペンターらジャズ・ハウンズのミュージシャンも参加した[19]。

映画への出演と後年の活動

スミスは1929年の初期の発声映画「Jailhouse Blues」に出演している。彼女は、1931年に一度レコーディングとコンサートから引退した。しかし1939年に復帰し、夫のジャック・ゴールドバーグがプロデュースした映画「Paradise In Harlem」に出演した[14]。

彼女は「Mystery In Swing」(1940年)、「Sunday Sinners」(1940年)、「Stolen Paradise」(1941年)、「Murder On Lenox Avenue」(1941年)、「Because I Love You」(1943年)といった映画にも出演している[20]。

死去とその後

スミスは収入はあっても贅沢な生活を続けたため、常に借金を抱えた状態であった[21]。彼女は関節炎を患い、1944年に健康状態が悪化してニューヨークのハーレム病院に入院。1946年、そこで死去した[21][22]。入院した時点で彼女はエイス・アヴェニューの下宿に暮らしていたが、資産は殆どなかった[21]。死去当時、彼女は破産状態だったという[23]。彼女は、スタテンアイランドのフレデリック・ダグラス・メモリアル・パークに埋葬された。当初墓標はなかったが、2013年になって設置された。

ジャス・オブレヒト・ミュージック・アーカイヴ・ウェブサイトによると、スミスは1963年まで墓標がない状態で埋葬されていたものの、西ドイツのイーザーローンのミュージシャンたちがホット・ジャズ・ベネフィット・コンサートで得た収益で「Mamie Smith (1883–1946): First Lady of the Blues」と刻まれた墓標を購入したという。ヴィクトリア・スピヴィーとレコード・リサーチ誌の発行人のレン・クンシュタットの支援により、スミスはニューヨーク州リッチモンドのフレデリック・ダグラス・メモリアル・パークに再埋葬されたとされる。再埋葬は、1964年1月27日に彼女を讃える祝祭とともに実施されたという[23]。しかしながら、2012年に立ち上がった墓標設置のためのキャンペーン・ウェブサイトはこれとは異なる説明をしており、彼女が1946年に亡くなってから67年間に渡り墓標がない状態であったとしている。

キャンペーンは成功に終わり、マイケルとアン・ファンシウロ・カラが2012年にスミスのための墓標の購入と設置に向けて動き出した。2人はブルースのジャーナリストと編集者であり、スミスの墓標を買うための何か月にも渡るクラウドファンディングのキャンペーンをインディーゴーゴー・ウェブサイトで実施した。慈善団体のミュージケアズもこれを支援した。キャンペーンで8千ドル以上が集まり、1.2メートルの高さの花崗岩墓標が購入された。そこにはエッチングが施され、スミスの肖像があしらわれている。

墓標は、2013年9月20日、ニューヨーク州スタテンアイランドのフレデリック・ダグラス・メモリアル・パークにて、盛大なファンファーレとともに設置された。余剰金は、現場の管理のために墓地に寄付された[24]。

ディスコグラフィー

コンピレーション・アルバム

さらに見る 年, タイトル ...
年 タイトル レーベル
1989年 『Vol. 1 - "Crazy Blues" (1920-1921)』 Document
1989年 『Vol. 2 - "Get Hot" (1921)』 Document
1989年 『Vol. 3 - "Mamie Smith Blues" (1922)』 Document
1989年 『Vol. 4 - "First Lady Of The Blues" (1922-1924)』 Document
1989年 『Vol. 5 - "Goin' Crazy With The Blues" (1924-1942)』 Document
閉じる

※5枚のLPで1989年にコンプリート・レコーディングという形でリリースされた後、1995年には同様の内容のものが4枚のCDで再発されている。

オリジナルSP盤シングル

さらに見る 年, アーティスト名 ...
年 アーティスト名 曲名 レーベル レコードNo.
1920年6月 Mamie Smith 「That Thing Called Love」/「You Can't Keep A Good Man Down」 Okeh 4113
1920年10月 Mamie Smith 「Crazy Blues」/「It's Right Here For You (If You Don't Get It – 'Taint No Fault O'Mine)」 Okeh 4169
1920年12月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「The Road Is Rocky (But I Am Gonna Find My Way)」/「Fare Thee Honey Blues」 Okeh 4194
1921年2月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「Mem'ries Of You Mammy」/「If You Don't Want Me Blues」 Okeh 4228
1921年3月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「Lovin' Sam From Alabam」/「Don't Care Blues」 Okeh 4253
1921年3月 Mamie Smith's Jazz Hounds 「Shim-Me King's Blues」/「Royal Garden Blues」 Okeh 4254
1921年11月 Mamie Smith And Her Jazz Band 「Mamma Whip! Mamma Spank! (If Her Daddy Don't Come Home)」/「I'm Free, Single, Disengaged, Looking For Someone To Love」 Okeh 4427
1921年12月 Mamie Smith And Her Jazz Band 「The Wang Wang Blues」/「Get Hot」 Okeh 4445
1921年12月 Mamie Smith And Her Jazz Band 「Down Home Blues」/「Arkansas Blues (A Down Home Chant)」 Okeh 4446
1922年2月 Mamie Smith And Her Jazz Band 「Stop! Rest A While」/「Weepin'」 Okeh 4471
1922年5月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「Wabash Blues」/「Doo Dah Blues」 Okeh 4578
1922年5月 Mamie Smith's Jazz Hounds 「The Decatur Street Blues」/「Carolina Blues」 Okeh 8030
1922年8月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「Dem Knock-Out Blues」/「Mean Daddy Blues」 Okeh 4631
1922年10月 Mamie Smith's Jazz Hounds 「Strut Your Material」/「Stuttering」 Okeh 8036
1922年11月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「Got To Cool My Doggies Now」/「You Can Have Him, I Don't Want Him, Did'nt Love Him Anyhow Blues」 Okeh 4670
1922年12月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「That Da-Da Strain」/「Wish That I Could But I Can't Forgive You Blues」 Okeh 4689
1923年8月 Harlem Trio, Mamie Smith's Jazz Hounds 「Clarinet Laughing Blues」(by Harlem Trio) /「Those Longing For You Blues」(by Mamie Smith's Jazz Hounds) Okeh 8072
1923年11月 Mamie Smith 「Kansas City Man Blues」/「Lady Luck Blues」 Okeh 4926
1924年2月 Mamie Smith 「Mistreatin' Daddy Blues」/「Plain Old Blues」 Okeh 4960
1924年 Mamie Smith, The Choo Choo Jazzers 「My Sweet Man (Tickles The Ivories For Me)」/「What You Need Is Me (And What I Need Is You)」(by Mamie Smith And The Choo Choo Jazzers) Ajax 4113
1924年11月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「Lost Opportunity Blues」/「Good Time Ball」 Ajax 17058
1924年11月 Mamie Smith And Her Jazz Hounds 「Remorseful Blues」/「Just Like You Took My Man」 Ajax 17063
1927年1月 Mamie Smith 「Goin' Crazy With The Blues」/「I Once Was Yours I'm Somebody Else's Now」 Victor 20210
1926年10月 Mamie Smith 「What Have You Done To Make Me Feel This Way」/「Sweet Virginia Blues」 Victor 20233
1931年2月 Mamie Smith 「Don't You Advertise Your Man」/「Keep A Song In Your Soul」 Okeh 8864
1931年9月 Mamie Smith 「Golfing Papa」/「Jenny's Ball」 Okeh 8915
閉じる

[25][26]

チャート入りしたレコード

さらに見る Year, Single ...
Year Single 米チャート[27]
1920 「Crazy Blues」 3
1921 「Fare Thee Honey Blues」 9
「Royal Garden Blues」 13
「You Can't Keep A Good Man Down」 4
「Dangerous Blues」 6
1922 「Lonesome Mama Blues」 6
1923 「You Can Have Him, I Don't Want Him Blues」 13
「You've Got To See Mama Ev'ry Night (Or You Can't See Mama At All)」 13
閉じる

脚注

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks