Wikiwand AI

メリー・メル

From Wikipedia, the free encyclopedia

出生名 Melvin Glover
メルヴィン・グローヴァー
別名 Grandmaster Melle Mel
ジャンル
Melle Mel
Melle Mel 2010年
基本情報
出生名 Melvin Glover
メルヴィン・グローヴァー
別名 Grandmaster Melle Mel
生誕 (1961-05-15) 1961年5月15日(64歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク市ブロンクス区[1]
ジャンル
職業
  • Rapper
  • songwriter
活動期間 1978年 -
レーベル
  • Enjoy Records
  • Sugar Hill
共同作業者
テンプレートを表示

メリー・メル(Melle Mel、本名: メルヴィン・グローヴァー、1961年5月15日 - )は、グランドマスター・メリー・メル(Grandmaster Melle Mel)の名でも知られるアメリカ合衆国のラッパー。Grandmaster Flash and the Furious Fiveのリード・ラッパーである。

チェロキー族の母親から生まれた。自身を"MC"(マスター・オブ・セレモニー=儀式の主人)と呼んだ最初の人物である。フューリアス・ファイブのもう一人のメンバーCowboy (キース・ウィギンス)は"hip-hop"という用語を生んだ。[2]

Grandmaster Flash & The Furious Fiveは別なグループ名でデビューしたが、プロデューサーは不適当な名前と感じ、名称を変更した。[3]。Grandmaster Flash & The Furious Fiveは1979年にEnjoyレコードから"Superrappin'"を発表した。

その後Sugarhillレコードに移り、R&Bチャートで"Freedom""The Birthday Party"などのラップ曲を発表した。1982年、メリー・メルを含むGrandmaster Flash & The Furious Fiveは、新自由主義のレーガノミクスや、麻薬が黒人コミュニティーに及ぼす影響などを扱った『ザ・メッセージ』を発表した。ただし、メンバーは気が小さく、フラッシュやメリー・メルらはパーティー・ラップをやることを希望し、ディスコに政治的内容を持ち込むことに消極的だったが、制作者のシルヴィア・ロビンソンが積極的に、同曲のライムの内容でなければダメであるとして、発表した。[4]

同曲はニューヨークとその周辺だけで、当初約50万枚のセールスを記録するヒットとなり、社会派ヒップホップの先駆けになった。同曲はデューク・ブーティ(英語版)のインストゥルメンタル曲"The Jungle"に歌詞を乗せたものである。同曲には以前の"Superrappin'"からの引用もあった。

他に、ニューヨーク生活の苦闘を"New York, New York"で、人生一般の戦いを"Survival (The Message 2)をラップで表現した。『ザ・メッセージ』の印税をめぐって、メリー・メルとSugarhillレコードのプロモーターSylvia Robinsonがもめるとグランドマスター・フラッシュはグループを脱退した。フラッシュはSugar Hillレコードを訴え、フューリアス・ファイブは分裂した。メルは「グランドマスター・メリー・メル」を名乗り、ザ・フューリアス・ファイヴのリーダーとなった。1983年にグループは麻薬撲滅を題材とした楽曲"White Lines (Don't Don't Do It)" を発表。ポスト・パンクのバンドリキッド・リキッドの『cavern』のベースラインをサンプリングし、非公式ビデオは当時無名の映画学校生スパイク・リーが監督、当時新人の俳優ローレンス・フィッシュバーンが出演していた。

同曲は"Grandmaster + Melle Mel"として発表され、レーベルは、フラッシュが参加しているという錯覚を与えようとした。メリー・メルは1984年に映画『ビート・ストリート』に出演、主題歌も歌いさらに成功した。

その後、1984年には、チャカ・カーンの"I Feel for You"(プリンス作曲)にラップで参加した[5]。同楽曲にてメリー・メルはグラミー賞の「レコード・オブ・ザ・イヤー」賞を受賞した初のラッパーとなり、ラップをメインストリームに持ち込んだ。

彼は、Grandmaster Melle Mel & The Furious Fiveとして"Jesse", "Vice"などを発表した。このうち1"Vice"は人気ドラマの『マイアミ・ヴァイス』のサウンドトラックに収録された。また、"Jesse"は当時の黒人初の大統領候補ジェシー・ジャクソンへの投票を呼び掛ける内容である。

1985年には、アパルトヘイトに反対するアーティストたち(英語版)の一員として、アパルトヘイト撲滅歌『サン・シティ』の収録に参加した。彼がシーンの最前線にいたのはこの時期までで、その後はなつメロラッパー的な扱われ方をするようになる。

1988年にフラッシュと再合流しアルバム"On The Strength"を発表するが、エリックB&ラキム(英語版)、パブリック・エナミー, ブギ・ダウン・プロダクションズ, ビッグ・ダディ・ケインなどの新しいミュージシャンのアルバムが多数R&Bチャートに登場していたため、ヒットには至らなかった。

1980年代末にクインシー・ジョーンズの二作"Back On The Block" & "Q – The Autobiography of Quincy Jones"に参加した。1996年にシェールの楽曲"One By One"に参加した。1997年、Straight Gameレコードと契約、アルバムRight Nowを発表。元フューリアス・ファイブのScorpioも参加したが、売れなかった。

2001年、"On Lock"という曲をDie Hardという名前で映画Blazinのサントラで発表。Die Hardは2002年に7PRecordsでアルバム発表。2006年,作家Cricket Caseyと絵本"The Portal In The Park"を発売。付録CDにはメルのラップ版ナレーションがついていた。ちなみに、同CDには当時無名のレディー・ガガの歌う二曲の歌も収録されていた。2010年に絵本は再発。レディー・ガガは"World Family Tree""The Fountain of Truth"でメルと共演した。


2007年、初のソロ・アルバムMuscles(筋肉)発表。初のシングルは"M3 – The New Message"だった。2007年、Melle Mel and The Furious Five (フラッシュを含む)はラップ・グループとして初めてロックンロールの殿堂入りした。受賞演説でメルはヒップホップを非暴力化すべきだと主張、俺は撃たれたことがない。俺は逮捕されたことがない。人生ずっとヒップホップをやってきた。物事は俺一人では変えられない。みんなの助けが必要だ。さあいっしょにやろう。まともにやるんだ、と発言した。

2008年ドラマ‘Bronx Flavor’に出演。2011年、Urban Wrestling Federationに参加することを表明。 2012年のアイス-T の音楽ドキュメンタリー映画"Something from Nothing: The Art of Rap"に出演。

ディスコグラフィ

アルバム

シングル

共演

脚注/参照

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks