イースト・コースト・ヒップホップ
From Wikipedia, the free encyclopedia
イースト・コースト・ヒップホップ(英: East Coast hip-hop)とは、1970年代にニューヨーク市で生まれたヒップホップの地域的サブジャンル[3][4]。アメリカ合衆国北東部を起源とするヒップホップを指し、複雑な歌詞を重視する傾向がある[5]。
| イースト・コースト・ヒップホップ | |
|---|---|
| 様式的起源 | ヒップホップ、ファンク、ディスコ、R&B、ジャズ、ブルース、ダブ |
| 文化的起源 | 1973年8月11日、アメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクス区にて[1][2] |
| 派生ジャンル | ブーム・バップ、ジャズ・ラップ、ギャングスタ・ラップ、ゴールデンエイジ・ヒップホップ、オルタナティブ・ヒップホップ、ハードコアヒップホップ、ラップロック |
| 融合ジャンル | |
| ニュージャックスウィング | |
| 関連項目 | |
| ウエスト・コースト・ヒップホップ | |
特徴
オールドスクール・ヒップホップに見られる単純な韻律パターンや構成とは対照的に、1980年代後半には多音節の韻、複雑な言葉遊び、流れるようなラップ、複雑な比喩表現など、リリックの巧みさをより重視するようになる[3]。サウンド面ではアグレッシブなビートとサンプリングとの組み合わせが特徴[5]。
EPMD、ビースティ・ボーイズ、パブリック・エナミーなどはアグレッシブで力強いビートを強調し、ラキム、ブギ・ダウン・プロダクションズ、LL・クール・J、ビッグ・ダディ・ケイン、ナズ、ノトーリアス・B.I.G.、スリック・リックなどは卓越したリリックスキルで注目を集めた[3]。
歌詞のテーマは、パブリック・エナミーやア・トライブ・コールド・クエストなどによる政治的なものから、レイクウォンなどによるマフィアをテーマにしたものまで、多岐に渡っている[3]。
歴史
1970年にアルバムをリリースしたThe Last Poets、1971年に楽曲「The Revolution Will Not Be Televised」がヒットしたギル・スコット・ヘロンらはスポークン・ワードと音楽を融合させ、ヒップホップおよびラップの原型のようなものを普及させる[6]。その後、1970年代から1980年代にかけてクール・ハーク、グランドマスター・フラッシュ、アフリカ・バンバータ、シュガーヒル・ギャング、カーティス・ブロウ、ジャム・マスター・ジェイ、Run-D.M.C.らがヒップホップ黎明期に活躍し、イースト・コースト・ヒップホップのパイオニアとなる[5]。なお、オールミュージックは「ヒップホップ黎明期には、すべてのラップはイーストコースト・ラップであった」と説明している[5]。
1980年代半ばから1990年代半ばまでの時期は「ゴールデンエイジ・ヒップホップ(ヒップホップの黄金時代)」と呼ばれ、ニューヨークを拠点とするデ・ラ・ソウル、パブリック・エナミー、ア・トライブ・コールド・クエスト、ジャングル・ブラザーズらが、その音楽的多様性で高い評価を獲得[5]。1989年にはカリフォルニア州出身のN.W.Aが荒々しくストリート感あふれるテーマを扱った『ストレイト・アウタ・コンプトン』でウエスト・コースト・ヒップホップのサウンドを提示し、1992年にはドクター・ドレーがGファンクと呼ばれるサウンドのアルバム『ザ・クロニック』を発表し、ウエスト・コースト・ヒップホップをメインストリームへと押し上げた[5]。

1990年代初頭にはGファンクが最も人気のあるヒップホップのサブジャンルとなったが、ニューヨークからはナズやノトーリアス・B.I.G.などが頭角を現した[7]。1994年に発表されたナズのデビューアルバム『イルマティック』は、ラージ・プロフェッサー、ピート・ロック、DJプレミアといったニューヨークを代表するプロデューサーが参加し、イースト・コースト・ヒップホップの最高傑作の1つとされる[7]。また、ウータン・クラン、モブ・ディープなどはニューヨークのハードコアヒップホップシーンの柱となり、ウータン・クランの『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』(1993年)、Big Lの『Lifestylez ov da Poor & Dangerous』(1995年)、ブラック・ムーンの『Enta da Stage』(1993年)、Onyxの『Bacdafucup』(1993年)、スミフン・ウェッスンの『Dah Shinin'』(1995年)、ロスト・ボーイズの『Legal Drug Money』(1996年)、モブ・ディープの『The Infamous』(1995年)などが名盤として評価されている[8]。

1994年に発表されたノトーリアス・B.I.G.のデビュー・アルバム『レディ・トゥ・ダイ』は、ギャングスタ・ラップの時代に合わせてイースト・コースト・ヒップホップを再構築し、音楽チャートでも成功を収めたことでヒップホップ界のスターとなった[9]。一方で、ノトーリアスの圧倒的な存在感は、ヒップホップ界を二分した東西海岸ヒップホップの対立を激化させる要因となった[10]。この対立の影響を受ける形で1996年9月にウエスト・コーストを代表する2パックが銃殺され、1997年3月にノトーリアスも銃殺されることとなった[10]。
1990年代後半にイースト・コースト・ヒップホップは再びメインストリームの覇権を取り戻し、ジェイ・Z、DMX、バスタ・ライムス、50セント、ジャ・ルール、ファット・ジョー、ビッグ・パン、ザ・クリプスらが台頭し、プロデューサーではティンバランド、ファレル・ウィリアムス、スウィズ・ビーツなどが頭角を現した[9][11]。
2000年代後半から2010年代初頭にかけてはジョーイ・バッドアス、 エイサップ・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ウィズ・カリファ、ミーク・ミル、フレンチ・モンタナ、プシャ・T、ロジック、マック・ミラー、ワーレイ、アジーリア・バンクス、アッシャー・ロスらが台頭し、SNS、ブログ、音楽ストリーミングといったインターネット上のリソースを活用するようになったことから「ブログ時代(Blog era)」とも呼ばれている[12][13][14]。
2010年代中盤以降はカーディ・B、リル・ウージー・ヴァート、エイ・ブギー・ウィット・ダ・フーディ、6ix9ine、シェック・ウェス、エイサップ・ファーグ、アクション・ブロンソン、コーデー、ゴールドリンク、PnBロックらが台頭。ラッパーの多くはSNSで人気を獲得し、ストリーミング時代にふさわしいスタイルを取り入れ、トラップやサザン・ヒップホップなどの影響を受けて伝統的なイーストコースト・サウンドからの逸脱したラッパーも出現するようになる[15]。イーストコースト・ラップを含む地域特有のシーンは衰退し、異なる都市や地域間のライバル関係は大幅に減少した。また、異なる地域やジャンルのアーティストが積極的にコラボレーションするようになった[16]。