メルセン条約
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843年のヴェルダン条約により、フランク王国は三分割されていた[1]。そのうちの中部フランク王国は855年のプリュム条約でロタール1世の死に伴い、その3人の息子ロドヴィコ2世(神聖ローマ皇帝 ルートヴィヒ2世)、ロタール2世、シャルル(カール)によってさらに分割され、それぞれイタリア・ロタリンギア・プロヴァンスを治めることとなった。しかし863年にシャルルが死去し、その領地は兄ロドヴィコ2世及びロタール2世の間で分割された[2]。さらに869年にロタール2世が嫡出子を残さずに死去した際[2]、当時ルートヴィヒ2世は病床にあり、ロドヴィコ2世もイスラムとの闘いの真っ只中であったことから、シャルル2世が同年9月9日にメスでロタリンギア王として戴冠した[3]。これに対しルートヴィヒ2世も後にロタリンギアの相続権を主張し、その結果、ルートヴィヒ2世とシャルル2世の間でロタール2世の遺領(ロタリンギア)の分割を取り決めたのがメルセン条約である[4][5]。この結果、ロドヴィコ2世はイタリア王国のみの領有が許され、メッツおよびアーヘンを含むロートリンゲン東部[4]および上ブルグントの大半は東フランク王国に、ロートリンゲン西部およびプロヴァンス[4]は西フランク王国に組み込まれることとなった。ロートリンゲン西部に関しては後に880年のリブモン条約において東フランク王国に移譲された[6]。これにより、現在のイタリア・ドイツ・フランスの原型が形作られた[4]。
