ロタール2世
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生涯と治世
結婚と離婚問題、そして死
855年、ロタール2世はボゾン家出身のアルル伯ボソ3世の娘テウトベルガと婚姻した。しかしながら、正妻テウトベルガとの間に嫡子を儲けることができなかったため、彼はテウトベルガに近親者との不義密通を告白させ、これを理由に離縁し、愛妾ワルトラーダとの再婚を企図した。しかし、この計画はローマ教皇ニコラウス1世らの強い反対に遭い、実現することはなかった。867年にニコラウス1世が逝去した後、兄ロドヴィコ2世夫妻の仲介により、後任の教皇ハドリアヌス2世との会見が実現し、離婚問題は再審議される運びとなった。しかし、その審議が完了する前の869年8月、ロタール2世はピアツェンツァにて庶子のみを残して死去した[3]。彼の死は、後に領土分割の契機となるメルセン条約締結の直接的な要因となった。
地名の由来
子女
愛妾のワルトラーダとの間に1男3女の庶子をもうけた。
- ウーゴ(855年頃 - 895年) - アルザス公(867年 - 885年)
- ギーゼラ(860年頃 - 908年) - 1.フリースラント公ゴドフリドと結婚、2.ヴェストファーレンの伯ディートリヒ・フォン・リンゲルハイムと結婚
- ベルタ(863年頃 - 925年) - 1.アルル伯テオバルド(ボゾン家)と結婚、2.トスカーナ辺境伯アダルベルト2世と結婚
- エルメンガルダ(? - 898年) - 聖ジャスティン修道院の修道女