モフセン・レザーイー
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| モフセン・レザーイー ペルシア語: محسن رضایی | |
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| 生年月日 | 1954年9月9日 |
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マスジェデ・ソレイマーン |
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| サイン |
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| 在任期間 | 1981年9月20日 - 1997年9月19日 |
| 在任期間 | 1997年9月9日 - 2021年9月19日 |
| 在任期間 | 2021年8月25日 - 2023年6月11日 |
| 大統領 | エブラヒム・ライシ |
モフセン・レザーイー・ミールガーエド(英語: Mohsen Rezaee Mirgha'ed、ペルシア語: محسن رضایی میرقائد、 1954年9月9日 - )は、イランのイスラム革命防衛隊の軍人、政治家。
1981年から1997年にかけて革命防衛隊の総司令官を務めた[1]。その後、公益判別会議事務局長、経済担当副大統領などを務めた。
反米・反帝政テロ活動
1954年、イランのフーゼスターン州マスジェデ・ソレイマーンに生まれる[2]。ロル族の出身[1]。
反米・反帝政のイスラム武装テロ組織マンスルーン(Mansuroon)に参加[1]。1978年にはモハンマド・バーゲル・ゾルガドルとともに、アメリカ人エンジニアや石油会社経営者を暗殺した[3]。
革命防衛隊情報室長
マンスルーンを含めた複数のイスラム武装勢力により革命防衛隊の情報組織が形成されたため[3]、1979年のイスラム革命後、すぐにイスラム革命防衛隊の情報室長に就任[1]。
過激派大学生らがアメリカ大使館人質事件を起こすと、支持を表明し、アメリカ軍が救出作戦に乗り出した場合、革命防衛隊がアメリカ軍を阻止することを約束した[1]。
革命防衛隊司令官

1981年に27歳にして革命防衛隊の総司令官に就任[1]。イラン・イラク戦争中絶えず戦略をめぐって正規軍と争い、戦争後期に正規軍地上軍司令官アリ・サヤド・シラジ(Ali Sayad Shirazi)が解任されているのは彼の陰謀とみられる[1]。戦争を利用して正規軍の独立性を奪うことに尽力した[1]。
数千人の子供をイラク軍の地雷原に突撃させたことでも知られる[4]
1988年4月17日にイラク軍にアル・ファウ半島を奪還された後、無能ゆえに処刑されたとか、国外に亡命したなどの噂が流れたが、事実ではない。皮肉にも戦争勝利のため更なる資材の投入を求める彼の手紙が、ルーホッラー・ホメイニーに国連安全保障理事会決議598を受け入れる決意を固めさせ、8年に及んだ戦争は終結した[1]。
戦後、革命防衛隊の活動が経済・金融にまで拡大していく中で、経済に関心を持つようになり、教育を受けて経済博士号を取得している[1]。
また革命防衛隊と連携する2つの大学を創立している[4]。
1997年まで革命防衛隊総司令官を務めた[1]。
AMIA爆破事件への関与
1994年7月18日にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで爆発物を積んだ車両に乗った自爆テロリストが、アルゼンチン・イスラエル相互協会(AMIA)の建物に突っ込んで、85人の死亡者、300人以上の負傷者を出したアルゼンチン・イスラエル相互協会爆破事件が発生した。1992年にもイスラエル大使館などユダヤ人関係施設への爆破テロが起きており、これらとの連続爆破事件の疑いが強いとされている[5]。
アルゼンチン検察当局は、2006年10月にAMIA爆破事件について、イラン当局が計画したテロと判断し、革命防衛隊司令官だったレザーイーや、ゴドス軍司令官だったアフマド・ヴァヒーディーらイラン人7人に対して逮捕状を発行している[6]。2007年3月15日に国際刑事警察機構(インターポール)から赤手配書で国際手配を受けた[7]。
目撃証言としては、モフセンの息子がアルゼンチンに滞在しており、実行犯とみられるレバノン人と同伴していたとの証言がある。また、ユダヤ人への爆破テロはイラン首都テヘランで計画されており、イラン当局が把握していた[8]。
革命防衛隊司令官の退任後
1997年には公益判別会議の評議員および事務局長に就任[4]。2021年まで在職した[9]。
2018年にはアリー・ハーメネイーが経済危機対策に創設した最高経済調整評議会の議長に就任[4]。
また、レザーイーは、2005年、2009年、2013年、2021年と複数の大統領選挙に出馬している[10]。
イラン戦争中の2026年3月16日にイラン国営メディアから「モジタバ・ハメネイ最高指導者により軍事顧問に任命された」と報じられている[11]。
イラン戦争の空爆で指導部が壊滅状態に陥ったイランにおいて誰が実権を握っているのかは議論があるが、革命防衛隊総司令官アフマド・ヴァヒーディー、最高安全保障委員会事務局長モハンマド・バーゲル・ゾルガドル、そしてレザーイーという軍部強硬派3人衆がイランの実権者ではないかとの見方が支配的になりつつある[12]。