モンジスカール
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| Montgiscard | |
|---|---|
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| 行政 | |
| 国 |
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| 地域圏 (Région) |
オクシタニー地域圏 |
| 県 (département) |
オート=ガロンヌ県 |
| 郡 (arrondissement) | トゥールーズ郡 |
| 小郡 (canton) | エスカルカン小郡 |
| INSEEコード | 31381 |
| 郵便番号 | 31450 |
| 市長(任期) |
ロラン・フォレスト (2015年-2020年) |
| 自治体間連合 (fr) | fr:Sicoval |
| 人口動態 | |
| 人口 |
2222人 (2015年) |
| 人口密度 | 168人/km2 |
| 住民の呼称 | Montgiscardais |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯43度27分32秒 東経1度34分28秒 / 北緯43.4588888889度 東経1.57444444444度座標: 北緯43度27分32秒 東経1度34分28秒 / 北緯43.4588888889度 東経1.57444444444度 |
| 標高 |
平均:m 最低:153m 最高:274m |
| 面積 | 13.2km2 |
| 公式サイト | Site officiel de la mairie de Montgiscard |
由来
歴史
中世、モンジスカールの領地はベルベーズ領主の権威のもとにあった。彼はエンダルデという場所にドメーヌと要塞城を所有していた。
1211年、モンジスカール領主はアルビジョワ十字軍によるカタリ派征伐においては、シモン4世・ド・モンフォールの派閥に与した。報復として、トゥールーズ伯は村を荒廃させてロックヴィルの礼拝堂を破壊し、ベルベーズ城の領主権と城を奪った。
エル川谷を支配する勾配に位置していたモンジスカールの町には、代官区、その後城代区がおかれた。
1355年、エドワード黒太子軍によって町は攻略され火を放たれたが、翌年復興した。1517年、ボルデリアがモンジスカール領主の称号を得た。
18世紀、大蔵卿フーケの子孫との領地交換に応じ、モンジスカールはエグヴィーヴ領主と結びつけられた。近代においては、モンジスカールはトゥールーズ市民教区の主要都市の1つであった。17世紀、教区の公文書はモンジスカールの教会の聖具室に預けられていたが、これらは1772年にトゥールーズ大司教の建物に移された。
モンジスカールには、カステルノーダリのセネシャル管区に設置された7か所の下級裁判所の1つが置かれていた。1799年には、王党派がトゥールーズを奪還した。
19世紀、重要な畜産見本市が、モンジスカールのフォワラル広場で開催された。
人口統計
史跡
- サンタンドレ教会 - 15世紀。歴史的記念物
- ロックヴィル城 - 15世紀から18世紀。かつてのロックヴィル家の封土で12世紀以来記述される。この強力な一族は、破滅と暴力の歴史を秘めた異端カタリ派に従っていた。アルビジョワ十字軍後、ロックヴィルは、王とトゥールーズ司教に従うモンブラン男爵に帰属することになった。ロックヴィル家の後、領地はガヴァレ家に渡り、その後15世紀終わりから18世紀までガロー家が所有した。1760年、ドメーヌは元カピトゥル(en、中世からアンシャン・レジーム時代のトゥールーズ行政を担ったコミューン行政官僚のこと)であったマルク・ドゥレが買収した。
- ノートル・ダム・ド・ロックヴィル礼拝堂 - 13世紀から19世紀。人気のある巡礼地。その歴史は12世紀にはじまり、小さな祈りの建物がこの地で発展し、言い伝えによれば礼拝堂に建て直され、1211年にはシモン4世・ド・モンフォールと聖ドミニコが礼拝にやってきたという。