ヤコブ・リーブ・タルモン
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1916年、タルモンはポーランド中部の町リピンの正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれた。
1934年にエルサレムのヘブライ大学で学ぶため、イギリス委任統治領パレスチナ(現在のイスラエル)に移った。1939年にヘブライ大学で修士号取得[1]。
フランスで学業を続けたが、ナチス・ドイツの侵攻後ロンドンへ移り、1943年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得した[1]。
『全体主義的民主主義の起源』(1952年)で名声を得た[1]。この著書で、1956年、タルモンは社会科学部門のイスラエル賞を受賞した[1]。
1967年の六日戦争後、タルモンはアーノルド・J・トインビーと歴史におけるユダヤ人とシオニズムの役割について議論した[3]。
タルモンはアラブ世界に対して開かれた政策を求め、イスラエルの新たな入植地設立に反対し、イスラエルとパレスチナ人の自己決定権の和解を提唱した[1]。
タルモンは1980年6月16日、64歳の誕生日の2日後にエルサレムで亡くなった[2]。
業績
タルモンは全体主義の系譜を研究した。タルモンは、政治的メシアニズムがフランス革命に端を発し、ジャコビニズムとスターリン主義は直系の関係にあると主張した[1]。また、全体主義民主主義とメシア的民主主義 (Messianic democracy)/政治的メシアニズム (political Messianism)という用語も作り出した。
主な著書には『全体主義的民主主義の起源』と『政治的メシアニズム:ロマン主義的段階』がある。タルモンは、ルソーの立場は「全体主義的民主主義」、すなわち、絶対的な集団的目的の追求と達成においてのみ自由が実現されるという哲学として理解するのが最も適切であると主張した。
タルモンは全体主義的民主主義を、完璧主義的なイデオロギーによって煽られた大衆の熱狂に支えられた独裁制とも評した[4]。