ヤーコプ・ローゼンハイン
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ローゼンハインはマンハイムに生まれた。彼は11歳でデビューを飾り[2]、当初はフランクフルトで活動した[3]。1830年には同地でパガニーニの演奏会に出席した[4]。1837年にはロンドンへと渡って、4月17日にソリストとしてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した。同楽団は1854年4月にも彼の交響曲を演奏したという記録が残っている[5][6]。ピアノ奏法の学校ではヨハン・バプティスト・クラーマーと協力関係にあった。1837年にフンメルがこの世を去ると、彼はヴァイマルのカペルマイスターの職に就くことができることができるようになった。
その後1849年からはパリへ移り[7]、30余年に渡って第一線で活躍した[3]。パリにおいて催していた室内楽の演奏会に訪れたケルビーニやロッシーニと交流し[3]、2人からはベルリオーズを薦められた。彼は1870年の政治的騒動を機にバーデン=バーデンへと拠点を移し、この世を去るまでこの地で過ごした。
ローゼンハインは遅くとも1839年にはメンデルスゾーンと親交を築いており[5]、モシェレスとも交友があった。シューマンは主催していた「新音楽時報」において、ローゼンハインの楽曲を称賛している[3]。他にもローゼンハインは同時代の音楽家の尊敬を集めており、ブラームスが1848年9月21日に15歳で登場した初めての演奏会では、ローゼンハインのイ長調の協奏曲からアダージョとロンドを演奏した。
主要作品
- オペラ[8]
- Der Besuch in Irrenhause (1834年)
- Liswenna (1835年)
- Le Démon de la Nuit (1851年); Liswennaの改作
- Volage et Jaloux (1863年)
- 管弦楽曲
- 協奏曲
- 室内楽曲
- ピアノ四重奏曲 変ホ長調 Op.1[12]
- チェロまたはヴァイオリンとピアノのためのソナタ ホ長調 Op.38[13]
- ピアノソナタ ヘ短調 Op.44 「フェティス氏へ à Mr. Fétis」[14]
- 交響的ソナタ ヘ短調(ピアノソナタ第2番?)Op.70 (ブライトコプフ社より出版、1887年)
- ピアノソナタ(第3番?)ニ長調 Op.74 (ブライトコプフ社より出版、1886年)
- 3つの弦楽四重奏曲 Op.55、57、65 (出版 1885年?、1894年?、1884年)
- チェロソナタ ニ短調 Op.98[15]
- ヴィオラソナタ ニ短調 (草稿。上記と同一の作品か。RISM、1893年)
- 4つのピアノ三重奏曲[16]
- 歌曲
- 少なくとも24曲がある[17]