ユースト・ファン・デル・ヴェストハイゼン
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
Van der Westhuizen in 2014 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1971年2月20日(54歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出身地 |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 没年月日 | 2017年2月6日(45歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 死去地 |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 1.88 m (6 ft 2 in) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 88 kg (13 st 12 lb) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 学校 | Hoërskool F.H. Odendaal | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大学 | プレトリア大学(University of Pretoria) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユースト・ヘイステク・ファン・デル・ヴェストハイゼン(Joost Heystek van der Westhuizen, 1971年2月20日 - 2017年2月6日)は、1990年代後半の南アフリカ共和国のオランダ系の元ラグビーユニオン選手。ポジションはスクラムハーフ。南アフリカ代表でのキャップ数は89を数える。ラグビーのプロ化が進んだ90年代で世界最高のスクラムハーフと言われている。
「9人目のフォワード」と呼ばれるとおり、スクラムハーフらしからぬ大型選手(188cm、88kg)であり、鋼鉄の肉体を生かした、力強いプレースタイルが特徴的であった。
デビュー後
1995年、1999年、2003年にはラグビーワールドカップでプレー。24歳で迎えた1995年には延長の末ニュージーランド代表を下して世界一となった立役者となり、1999年のワールドカップではゲーリー・タイヒマンに代わり南アフリカ代表のキャプテンを務めた。
2003年ワールドカップ後、家庭の事情を理由に32歳で代表を引退。ちょうど南アフリカの女子陸上選手との情事がスキャンダルで流れた時期であった。
引退時の89キャップ38トライはどちらも南アフリカ代表として当時最多の記録である(キャップ数はヴィクター・マットフィールド(127)、ブライアン・ハバナ(118)、ジョン・スミット(111)、ジャン・デヴィリアス(109)、パーシー・モンゴメリ(102)に次ぐ第6位、トライ数はハバナ(64)に次ぐ第2位)。また、38トライは現在もスクラム・ハーフとしての最多トライ数である。
トライネイションズのライバルであるニュージーランド戦には特に闘志をむき出しにし、引退時の対ニュージーランド6トライはデイヴィッド・キャンピージ、マシュー・バークに次ぐ記録であった(現在はこの二人に加えアダム・アシュリークーパー(最多)、ブライアン・ハバナに次ぐ5位)。