ユーロビジョン・ソング・コンテスト1968
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| ユーロビジョン・ソング・コンテスト1968 | |
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| 日程 | |
| 決勝 | 1968年4月6日 |
| 主催者 | |
| 会場 | ロイヤル・アルバート・ホール |
| 司会 | ケイティ・ボイル |
| 指揮者 | ノリー・パラマー |
| 主催放送局 | |
| 参加者 | |
| 参加国数 | 17 |
| 投票 | |
| 優勝曲 | "ラ・ラ・ラ" |
| ユーロビジョン・ソング・コンテスト | |
| ◄1967 | |
ユーロビジョン・ソング・コンテスト1968こと第13回ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest 1968)は、1968年4月6日(土曜日)にイギリス・ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催された。製作は英国放送協会(BBC)。放送時間:1時間37分。
イギリスでの開催はこれで3度目だが、前年優勝によるものは今回が初めて。プレゼンターも女優のケイティ・ボイルが3度目の登板となった[1]。指揮者のノリー・パラマーはイギリスのみ。モナコの指揮にミシェル・コロンビエが4年ぶりの再登板した。
史上初のカラー放送の大会だったが、カラー放送はイギリス、フランス、オランダ、スイス、ドイツ、スウェーデン、ノルウェーの7ヶ国のみに限られた。実際のところ、これらの国でもカラーテレビがほとんど普及していなかったが、本大会よりカラー放送が定着し、これ以降の全ての大会は主にカラーで放送されるようになった[1]。
本大会は参加国のほか、東欧全域とチュニジアでも放送された[1]。

17ヶ国のネットワーク。(変動なし)
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( )内数字は参加回数
以下は、不参加ながら、中継放送を実施した局。
DFF ドイツテレビジョン放送(東ドイツ) 、
TP ポーランド・テレビ、
ČST チェコスロバキア・テレビ、
MTV ハンガリー・テレビ、
TVR ルーマニア・テレビ、
BNT ブルガリア・テレビ、
ЦТ СССР ソビエト連邦中央テレビ、
ERTT ラジオ&テレビ・チュニジア協会
リハーサル初日、アルバニア代表と称する人たちが出現したが、それは単なる悪戯だった。
出場者
当初、スペイン代表はホアン・マヌエル・セラーが出場することになっていた。しかし、彼がフランコ体制下のスペインで禁止されているカタルーニャ語での歌唱にこだわったため、TVE幹部は、代表をマシェルに交代させることを決定。メキシコ・ツァー中だった彼女は、急遽に呼び出されての出場となった[1]。
また、2つの国は外国人歌手を自国代表として受け入れた。ドイツはノルウェーのヴェンケ・ミーレを、オーストリアはチェコスロバキアのカレル・ゴットをそれぞれ起用した[1]。
投票方式
前年同様。各国の審査員は各10名。自国内で中継放送を鑑賞の上、1人1票ずつ投票。各国の放送局は、投票数を取りまとめて会場に電話連絡。スコアボードに加算されていった。