ヨハン・ベネディクト・リスティング
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フランクフルト・アム・マインに生まれた。8歳から Musterschule で基礎教育を受け、1825年から5年間をギムナジウムで過ごした。芸術においても優れた才能を示し、ギムナジウムでは数学や建築学を学んだ[1]。
1830年にゲッティンゲン大学に入学し、ガウスに師事した。1834年に大学を卒業し、1839年にヴィルヘルム・ヴェーバーの物理学教授の後任を務めた[1]。
ゲッティンゲン大学に在籍した間、同じくガウスの門下生であったヴォルフガンク・ザルトリウス・フォン・ヴァルタースハウゼンのシチリアへの旅行に同行し、エトナ山の火山活動を調査した[2]。
仕事
1847年に発表された論文 Vorstudien zur Topologie で[4]、それまで使われていた geometria situs(あるいは Analysis situs)という語の代わりに、トポロジー(Topologie)という語を導入した[5]。ただし、リスティングは Musterschule の師ミュラー(Müller)に宛てた1836年付の手紙で既にこの語を用いている[1]。1858年、メビウスと同時期にメビウスの帯の性質を独自に発見し、高次の捩れを持つ帯(paradromic な帯)の性質を探究した。位相不変量であるリスティング数を発見した[6]。
眼科学におけるリスティングの法則は、目の三次元的な動きについて述べるものである。
測地学においてリスティングは、指導教員のガウスが以前に概念化していた、 仮想的な地球の形状を意味するジオイド(Geoid)を造語した[7]。