ヨハン・ボーデ
ドイツの天文学者
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略歴
業績
1772年、シャルル・ボネ『自然の思想』第2版のヨハン・ティティウスによる訳注で太陽系の惑星の軌道に関する法則を知り、自分の『星空の知識入門』 (Anleitung zur Kenntniss des gestirnten Himmels) 第2版に脚注として書き加えた。ボーデが発見者はティティウスだと言わなかったこと、論文や学会でも発表し広めたこと、のちに彼が有名になったことにより、この法則はボーデの法則として知られるようになったが、現在ではティティウス・ボーデの法則と呼ばれることも多い。
天体観測者としては、1774年12月31日にM81とM82を発見している[4][5]。ボーデは「おおぐま座の頭部、耳に位置するd星のすぐ東側に、2つの小さな星雲状の斑点が0.75度ほど離れて位置しているのを発見した」と記している[5]。このうちM81は、後にボーデの銀河 (Bode's Galaxy) と呼ばれるようになった[4][6]。その後、1775年2月3日には球状星団M53を、1777年12月31日には球状星団M92を発見している[2]。1779年4月5日の渦巻銀河M64の独立発見は、エドワード・ピゴットに遅れることわずか12日のことであり、2002年4月にピゴットの業績が再発見されるまではボーデが第一発見者とされていた[2]。また少なくとも1782年以前に散開星団M48を独立発見している[2]。
ウィリアム・ハーシェルが1781年に発見した新惑星は、発見者のハーシェルによってジョージ3世を記念した Georgium Sidus と呼ばれていたが、イギリス以外では広まらなかった。ボーデは土星 (Saturn) の父に当たる神の名前としてギリシャ神話の天空の神 Uranus と名付けることを提案し、後に広く受け入れられた[注釈 1]。
アマチュア向けの小さな星図 Vorstellung der Gestirne や、星座とその神話の入門書(10版を重ねた)も出版している。
『ウラノグラフィア』

1801年、星図『ウラノグラフィア』(Uranographia) を出版した。この星図は、恒星などの天体の位置の科学的正確さと、星座の絵の芸術的解釈の、双方を目指した星図だった。この星図は、星座の芸術的表現のピークとなった。それ以降、星図は絵に力を注がなくなり、ついには絵をなくすことになる。『ウラノグラフィア』には100もの星座が描かれており[7]、彼自身も、測定索座、電気機械座、印刷室座、フリードリヒの栄誉座の4つの新しい星座を設けているが、現在は4つのいずれも残っていない[8]。