ヨーロッパ (ロケット)
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| ヨーロッパ (Europa) | |
|---|---|
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ヨーロッパ2展示機(ユーロ・スペース・センター) | |
| 基本データ | |
| 運用国 |
|
| 開発者 | ELDO |
| 運用機関 | ELDO |
| 使用期間 | 1968年 - 1971年 |
| 射場 |
ウーメラ試験場 ギアナ宇宙センター |
| 打ち上げ数 | 11回(成功4回 (1段目のみの弾道飛行)) |
| 原型 | ブルーストリークIRBM |
| 物理的特徴 | |
| 段数 |
3段(ヨーロッパ1) 4段 (ヨーロッパ2) |
| ブースター | 無 |
| 総質量 |
106 t (ヨーロッパ1) 112 t (ヨーロッパ2) |
| 全長 | 31.68 m |
| 直径 | 3.69 m |
| 軌道投入能力 | |
| 低軌道 | 1,440kg(ヨーロッパ 1) |
| 静止移行軌道 | 360kg(ヨーロッパ2) |

ヨーロッパはヨーロッパ宇宙機関(ESA)の前身の一つである欧州ロケット開発機構(ELDO)の開発していた初期の使い捨て型ロケットであり、アリアンシリーズの前身である。
開発までの経緯
イギリスはアメリカの協力の基に1955年から中距離弾道ミサイル(IRBM)のブルーストリーク(Blue Streak)を開発していたが、即応性の問題から1960年にこの弾道ミサイル計画は中止された。これにより、それまでにブルーストリークに費やした莫大な費用を惜しむ声があり、ブルーストリークを「ブラックプリンス」の名前でイギリスの人工衛星打ち上げ用ロケット(ローンチ・ヴィークル)の第1段として転用する計画が持ち上がった。第2段目にはブラックナイトロケットからの派生品が、軌道投入段には小型の過酸化水素 / ケロシンロケットが予定されていた。
しかし、イギリス単独のこのロケット計画も費用がかかりすぎることが判明したため、費用を低減しながらブルーストリークを有効利用するため、また米ソの熾烈な宇宙開発競争に対抗するために、イギリスが中心となって1964年に欧州ロケット開発機構(ELDO)が設立された。ELDOの新しいヨーロッパロケット計画では、ブルーストリークを第1段目として使用するのは変わらなかったが、2段目と3段目にはフランスとドイツのロケットが使用されることとなり、それぞれが分担金を支払う事になった。
開発開始から計画終了まで
ヨーロッパ計画は、ELDO発足の準備段階の1962年からELDO-Aとしてイギリス主導で計画が開始された。イギリスはブルーストリークを転用した第1段、フランスは第2段コラリー(Coralie)と、ディアマンBの第3段から流用したヨーロッパ 2用の第4段PAS(ペリジ・アポジ・システム、固体燃料のP068+衛星アポジモーター)、ドイツは第3段アストリス(Astris)、イタリアとベルギーはフェアリングと搭載する人工衛星、オランダはテレメトリや誘導制御装置等の電装系をそれぞれ担当した。イギリスが開発した第1段の設計はヤード・ポンド法、その他の部分の設計はメートル法を採用した。開発には第2段コラリーと第3段アストリスのみを使用した弾道飛行ロケットのコラも用いられた。
ヨーロッパ計画は3段階の計画であり、試験モデルの実証飛行を行った後、ヨーロッパ1、ヨーロッパ2、ヨーロッパ3と発展させていく計画であった。イギリスのブルーストリーク単独やダミーの上段と組み合わせた飛行試験は何れも成功であったが、フランスとドイツの上段ロケット、イタリアのフェアリング、オランダの制御装置を組み込んだところ、それぞれが原因で全ての打ち上げに失敗した。これによって最終型のヨーロッパ 3の打ち上げ以前に計画は中止され、ELDOはヨーロッパ宇宙機関(ESA)へと発展的に解消された。
寄り合い所帯で宇宙開発の経験が乏しい国が上段を担当したり、各国の利害関係により意思決定に時間がかかり、イギリスとフランスの主導権争いやイギリス担当の1段目はヤード・ポンド法、その他の国が担当する2段目以降はメートル法が使用される等、各国の足並みが揃わず、自国企業が自国の出資金額を大幅に超えて受注を獲得した事例があった事等が失敗の一因であるとされる。
- 出典[1]
ヨーロッパ1
3段式のヨーロッパ1は全長31.7m、重量110トン以上で1966年の時点で高度500kmの円軌道に1000から1200kgの軌道投入能力を備える予定だった[2]。イギリスのホーカーシドレー・ダイナミックスが担当する1段目は全長18.4m、直径3.05m、89トンの推進剤(ケロシンと液体酸素)込みで重量95トンだった[2]。海面高度での推力がそれぞれ667kNのロールスロイス製のRZ-2エンジンを2基備え、フランスのノールアビシオンとLRBAが担当する2段目のコラリーは全長5.50m、直径2m、9.85トンの常温での貯蔵が可能な推進剤(四酸化二窒素と非対称ジメチルヒドラジン)込みで12トンで推力268kNの4基の燃焼室のエンジンを備えた。3段目は西ドイツメッサーシュミット・ベルコウ・ブロームとERNOが担当する全長3.81m、直径2m、2.94トンの常温での貯蔵が可能な推進剤(四酸化二窒素とエアロジン-50)込みで4トンで推力23kNのエンジンを備えた[2]。
